川内優輝が結婚と世界選手権代表手中に!びわこ毎日マラソンMGC資格獲得は山本裕之と河合代二

川内優輝選手が5月に結婚。おめでとうございます!
母の美加さんや2人の弟さんも、全く気がつかなかったという極秘交際だったなんて!( ´艸`)

お相手の方はデンソー陸上部所属の水口侑子(みずぐち・ゆうこ)さんで1才年上。
10日に行われた「名古屋ウィメンズ」は2時間33分57秒で28位でしたが、現役引退する水口侑子さんのラストランとなりました。

川内優輝選手が、初めて海外レースを走ったのが2008年8月2日「ニューカレドニア国際マラソン」。常々川内優輝選手が「この大会がなかったら、今の僕はない」と感謝し、マラソン人生の原点だと公言しているレースです。

大学4年生の時、ハーフに出場して1時間7分15秒で優勝していますが、女子で優勝したのが水口侑子さんだったのです。アベック優勝だった相手と結婚するなんてドラマみたい。

以前、何かのインタビューで、好きな女性のタイプについて、「おとなしい感じで真面目に努力してくれて、一緒に走ってくれる人ですね!」と答えていました。今思えば、水口侑子さんの顔を思い浮かべながら答えていたのでしょう。

でも、家族さえ知らない程ひっそりと静かに・・・10年間も交際していたなんて凄い!お互いを大切に思いながら愛を育んできたのでしょう。素敵ですよね。

お互いがランナーですから、いろいろな場所で顔を見ることはできても、ゆっくり話すチャンスがあったかどうか・・・5月以降は市民マラソンなどで、夫婦ランが見られるようになるかも。

それにしても出会ってから10年間、ぶれることなく、ただ1人だけを見つめてきた川内優輝選手と水口侑子さん。2人とも真面目で素敵だと思います。2人の一途な愛に乾杯!!

2017年には「ニューカレドニア国際マラソン」フルマラソンでも優勝している川内優輝選手。2019年8月の第37回ニューカレドニア・モービル国際マラソン」に、プロ選手として招聘されています。海外ハーフマラソンで初優勝した思い出の地であり、マラソンの原点とも言える大会。

「ニューカレドニア国際マラソン」では、川内優輝選手によるランニング講習会も予定され、パーティなども開催されます。川内優輝選手夫婦にとって運命の人に出会った大切な場所でもあります。

川内優輝選手と水口侑子さんは、新婚旅行を兼ねて「ニューカレドニア国際マラソン」に夫婦そろって参加できるように、調整されているという情報がありました。2人は、初めて出会った時にアベックVを達成しているので、もちろんアベックVを狙ってくるでしょう。

でも、うらやましいですね。夫婦で優勝を狙って走れるなんて!頑張って欲しいな!

そして、プロ転向を決めた川内優輝選手ですが、決めるまでには、いろんな葛藤があったそうです。2017年にロンドンで開催された「世界選手権」で、3秒足りずに9位で終了してしまいました。

この時、代表からの引退を表明しましたが、悩んでいました。
「代表辞退よりも、仕事を辞めるのが先じゃないのか・・・」と。

この頃すでにプロ転向していて、充実したランナー生活を送っていた弟さんをみて、考えたそうです。時間に拘束されている公務員ランナーの限界を感じていたのかも知れませんね。

公務員としての勤務時間は8時間なので練習時間は2時間くらい。もちろん、公務員として働きながら走ることには誇りに感じていました。

しかし、弟さんの充実ぶりを目の当たりにして「練習時間が増えて、ケアする時間ができればどう変わるか」と考えた時、俄然プロに興味が湧いてきたそうです。

川内優輝選手にとって、公務員ランナーとして走ることは、相当なプレッシャーがあったようです。
良い見方をしてくれる人は「働きながら頑張っている!」と言ってくれる。
しかし「公務員は暇だからできるんだ」と言う人も多かった。

成績が悪いと、すぐに「誹謗中傷」の手紙が届いたと言います。
日本代表になって注目されても、有給は年15日~18日、長く休むことなど出来ない。マラソンと仕事と切り離すことができないので、いつも身動きが取れない状態だったとか。

それならば競技に専念して、言い訳できない環境に身を置き、自分の責任の上で走ろうと思い、プロ転向を決めましたと語っていた川内優輝選手。

1年前の4月・・・30年ぶりの寒さと強風に見舞われた第122回ボストン・マラソンを制覇した川内優輝選手は、日本人として8人目で、瀬古利彦さん以来となる実に31年ぶりの快挙でした。

プロ転向最初のマラソンが、4月15日開催の第123回ボストンマラソン。昨年の覇者である川内優輝選手は、必ず注目の的になるでしょう。いい走りをして、できれば連覇して欲しいですね。

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川内優輝選手 世界選手権代表確実!MGC資格2人が獲得したびわこ毎日マラソン!

2019年3月10日、気温は11度、1.6メートルの風が吹き、小雨が降る中でスタートしたびわこ毎日マラソン。この大会は、「MGC資格」とドーハ―で行われる「世界選手権」の代表選考も兼ねていました。

川内優輝選手は、かねてより希望していた「世界選手権」の代表入りが確実視されています。
また、MGC資格を獲得した河合代二選手も「世界選手権」の代表に選ばれるようです。
ただ、「世界選手権」代表が正式発表されるのは5月頃ですので、内定といったところでしょうか。

MGC資格が取得できる最後のレースでしたが、すでにMGC資格を持つ山本憲二選手と川内優輝選手が、日本人1位と2位でした。実際のゴール順位は7位と8位です。但し、ルール上この二人は計算に入れません。

日本人3位と4位の選手がMGC資格を手にしています。実際のゴール順位は10位と11位です。
MGC資格獲得:1人目は山本裕之選手:2時間10分33秒。
MGC資格獲得:2人目は河合代二選手:2時間10分50秒。設定時間迄残り10秒でぎりぎりセーフ。

優勝は モロッコのプルナス選手 :2時間7分52秒。
2位はエチオピアのテフェラ選手:2時間7分56秒。
3位が南アフリカのモコカ4選手 :2時間7分58秒。

2時間8分台でゴールしたのが4人、2時間9分台は2人。
8分台:バーレーンのセウレイ選手・エチオピアのロビ選手・タンザニアのシンブ選手・山本憲二選手。
9分台:川内優輝選手・サンベルクスのチェボティビン選手。

山本憲二選手と川内優輝選手はとてもいい感じで走っていました。
殆ど集団の真ん中より少し前にいましたが、川内優輝選手は27キロあたりからペースメーカーのすぐ後ろに陣取りやる気満々の顔。

ところが、川内優輝選手のスピードが急に落ち、だんだん遅れ始めたので、「あれっ?どうしたの、調子良さそうだったのに・・・」と、凄く不思議に思いながら見ていました。後でわかったのですが、右ふくらはぎが「けいれん」して、足がつりそうになって走れなくなったのだとか。

足の「けいれん」が治まってからはグングン追い上げ、2時間9分21秒でゴール。追い上げるときの川内優輝選手はいつもの通り、今にも倒れそうな顔つきで粘りの走りをみせました。心の中で「ドーハ、ドーハ、ドーハ」と、唱えながら「けいれん」に耐えたそうです。

一方山本憲二選手は30キロを過ぎてもトップ集団にしっかりついていましたが、一瞬前に出て仕掛けました。でも、すぐに吸収されています。最終的には、スパートをかけた海外勢について行けず、どんどん遅れてしまいましたが、それでも日本人トップでゴール。

雨でも気にせず走れるのが川内優輝選手なのですが、足がつりそうになってスピードが落ち、おいて行かれてしまったのが悔やまれます。28キロくらいまでは、優勝争いができるかも知れないと期待していました。でも、途中で何が起こるかわからないのがマラソン・・・人生も同じですね。

川内優輝選手は4月からプロ選手。勤務時間の制約がなくなり、トレーニングやケアに時間を割くことが可能になりました。夏頃には北海道の釧路で自身初めてとなる約1カ月の長期合宿を計画しているとか。

日本記録保持者の大迫傑選手や、設楽悠太選手などの若い選手が台頭してきましたが、マラソン低迷期を引っ張ってきた川内優輝選手が、プロになり、どのような活躍を見せるのかとても楽しみ!

川内優輝を支え続けた右腕ブレット・ラーナー氏とは?

カナダ人のブレット・ラーナーさんは、日本代表派遣以外のレースに、2012年デュッセルドルフマラソンから、川内優輝選手に帯同してきました。

一匹狼的な川内優輝選手に帯同して、大会主催者との交渉や、現地での食事などのアレンジ、通訳、メディア対応などをこなしてきたのが、ブレット・ラーナーさんでした。実業団に所属せず、スタッフのいない最強の公務員ランナーの右腕となり、海外転戦を支えてくれた方。

ブレット・ラーナーさんは、高校、大学時代は米国で陸上に打ち込んでいました。そして、市民ランナーとして、6度も「ボストンマラソン」を走った経験者。

「ボストンマラソンはアップダウンが多い。川内優輝選手に勝機はある」と、ずっと以前から川内優輝選手にボストンマラソン出場を勧めてきました。

もちろん、優勝のフィニッシュテープを切った川内優輝選手は、その直後に、ブレット・ラーナーさんの元へ真っ先に駆け寄り、抱き合って喜びを分かち合っていました。

川内優輝選手が、2018年4月、第122回のボストンマラソンを制した直後、歓喜の涙を浮かべながら優勝インタビューを受けていましたが、その隣で通訳を務めていたのは、カナダ人のブレット・ラーナーさんでした。ブレット・ラーナーさんは、涙をこらえながら勝者川内優輝選手の一語一句を英語にして世界に届けたのです。

川内優輝選手のボストンマラソン制覇を、ブレット・ラーナーさんは「半分くらい驚いたけど、半分くらいは間違いなく優勝するという気持ちがありました。かなりうれしいです」と、喜び、「ボストンマラソンは世界一のマラソン大会で歴史もある。他のメジャー大会と比べて本当に価値があります」と話していました。

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1997年には筝奏者として来日。高校、大学時代は米国で陸上に打ち込んでいたブレット・ラーナーさんは、日本のレースに次々に出場し、東京代々木公園を拠点に活動するランニングクラブ「ハリアーズ」ではコーチも務めているそうすです。

2008年からは「日本の素晴らしいランニングカルチャーを世界に発信したい」と、WEBサイト「JAPAN RUNNING NEWS」を立ち上げ、英語で日本の駅伝やマラソンを紹介。

すると海外のマラソン大会事務局から、日本人を大会に呼べないか、という相談が次々に舞い込むようになったのです。2009年のコペンハーゲンマラソンを皮切りに、日本のトップ選手、学生、市民ランナーの海外マラソン挑戦をサポートしていました。

4月30日、ボストンマラソンで川内優輝選手をサポートしたブレット・ラーナーさんを労う祝賀慰労パーティーが都内で開かれ、大学・実業団の指導者やランニングクラブのコーチなど、関係者が多数集まり、川内優輝選手の快挙を支えたラーナーさんを労ったのです。

ブレット・ラーナーさん自身も、フルマラソンで2時間34分のベストタイムを持つカナダ出身のランナーです。ベストタイムを出したレースは、2006年別大マラソンでした。

2018年のボストンマラソンを制覇した川内優輝選手が走る直前に「川内さん、あなたはこの日のために生まれてきた」なぜかふと浮かんだ言葉を伝えたと言うブレット・ラーナーさん。きっと、ひらめきだったのでしょう。

まとめ

4月からプロ転向する川内優輝選手には、いろいろな思いがあるようです。
若手の活躍が増えてきた男子マラソンについて「私は格下ですから。目指すべき若手が出てきたことはすばらしい」と言いつつも、「夏を過ぎたらやってやる」と闘志を燃やしていましたね。

川内優輝選手は「最近は、年寄りはもういい的な感じがあるので、ベテランも強いぞと思わせるような雰囲気にしたい」と考えているようです。

また、日本記録を狙える選手として名前が挙がる選手が、大迫傑選手、設楽悠太選手、井上大仁選手、服部勇馬選手だけなので、少なからず闘志を燃やしているように感じます。

川内優輝選手の場合、勤務時間8時間という足かせがあり練習時間は2時間程度でした。しかしプロ転向する4月以降は、合宿もできるし練習時間も充分取れます。この環境で思いのまま練習できれば「まだまだできる。若手にだって負けないぞ」と言う自負があるのでしょう。

過去にできなかった練習や合宿などで、今迄出せなかった部分が引き出せる・・・そんな気持ちがあるように思いますね。くすぶっていた闘志に火がついたかも知れません。取材に答える言葉の端々に、心の奥にメラメラ燃える闘志が溢れている・・・そんな気がします。

5月には水口侑子さんと結婚されますが、マラソンランナーでもある水口侑子さんなら、誰よりも素晴らしいサポートができる、素晴らしいパートナーだと思います。これまでとは一味違う川内優輝選手が見られるかも知れません。

まずは、4月のボストンマラソンに期待しましょう。
気持ちは、もちろん連覇を狙うつもりで調整してくるはずですから。

そして8月の「「ニューカレドニア国際マラソン」の夫婦ラン、楽しみにしています。

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