あなたは覚えていらっしゃるでしょうか?
11年前の5月でした、日本男子ゴルフツアー界に、彗星のごとく現れた「ハニカミ王子」こと石川遼くんのことを・・・

始めて出場したレギュラーツアーで、プロゴルファーを退けて優勝を成し遂げたのは、15才8か月のアマチュア選手だった石川遼くん。優勝インタビューで、喜びの涙を溢れさせながら、キャディを努めてくれた友達に感謝する遼くんのカワ(・∀・)イイ!!顔を、今でも鮮明に覚えています。

光陰は矢のごとし・・・(月日が過ぎるのは、矢が飛ぶように速く、帰ってこない。だから無為に日を送るな)という戒めの意味もあるそうです。遼くんが初優勝したあの日から11年もの年月が、あっと言う間に過ぎ去ってしまいました。あの日15才8か月だった石川遼くんも現在は26才の青年です。

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石川遼選手は下記のような記録を残し、ギネスブックに2度登録されています。

  • 初参戦したレギュラーツアーで史上最年少優勝!
  • 世界6大ツアー(米、欧、豪、亜、南ア、日)での、世界最小スコアを記録!

ギネスに登録されていませんが、18才での賞金王も世界最年少記録でした。アマチュアで優勝してプロゴルファーになった石川遼くんの11年間には、実に様々なドラマが詰まっています。

現在は選手会長として、色々なことに取り組んでいる石川遼選手の11年間を、あなたと一緒に振り返ってみましょう。

現代によみがえれハニカミ王子の輝き!石川遼は最年少優勝でギャラリーを魅了した!

マンシングウェアオープンKSBカップ 2007  https://is.gd/b0sNKf
上記アドレスをクリックして下されば、15才245日(15才8か月)で優勝したハニカミ王子石川遼くんのスコアが見られます。

石川遼くんの15歳8か月での優勝は、1977年の日本オープンでセベ・バレステロスが記録した、日本男子ゴルフツアーの最年少優勝記録、20歳7カ月を大きく更新しました。

この最年少優勝記録は現在もまだ破られていないですね。

マンシングウェアオープンKSBカップ 2007は、初日の5月17日(木曜)は強風のため中止となっています。

通常は、3日間競技となることが普通のようになっていますが、マンシングウェアオープンKSBカップ 2007は、(5月18日:金曜)と(5月19日:土曜)の2日間、しっかり予選ラウンドが行われています。

そして5月20日(日曜)に決勝の36ホール競技が行われました。石川遼くんは優勝スピーチで、ギャラリーやスポンサーに感謝の言葉を伝えたあと、バックを担いでくれたキャディを壇上に呼び寄せました。そして泣きじゃくりながらキャディに抱きついたのです。

石川遼くんは「優勝できたのは本当に塘田くんのおかげです。僕にとって世界一のキャディです!」溢れる涙と共に、感謝の気持ちを伝えました。

15才8か月石川遼くんの清々しくて初々しいインタビュー!
その日から遼くんの人気はうなぎのぼりで、ファンが一気に膨れ上がりました。
うなぎのぼり:地位や人気がどんどん上がること。

遼くんが出場するアマチュアの試合に、2,000人以上のギャラリーが押し掛けるようになったとニュースで聞きました。それまでのアマチュアの試合で、正確に記録された人数は確認できません。

ハニカミ王子石川遼2008年1月プロ転向!最年少優勝や最小スコアなど記録を残した!

2008年1月にプロ転向表明、記者会見が開かれました。
「今日からプロゴルファーの石川遼です」と宣言した遼くんは未だ16歳でした。

石川遼選手、プロでの初優勝は関西オープンでしたが、その時点ではツアー外扱いになっていたため、優勝数に入っていません。下記のアドレスをクリックして下さると、関西オープンで優勝したハニカミ王子石川遼選手の記事が見られます。https://is.gd/bSl0Ln

関西オープン優勝の2か月後、2008年11月にプロとしての初優勝を飾ったのは、マイナビABCチャンピオンシップです。石川遼、プロとしてのツアー初優勝!クリックして下さいね。⇒ https://is.gd/h6WnFn 

17歳と2ヶ月で史上最年少の1億円プレーヤーとなった石川遼選手の進化していくスピードは脅威的でした。

2009年、最終戦のゴルフ日本シリーズJTカップで史上最年少、18歳の賞金王を決めました。
池田勇太選手と最後まで賞金王争いを繰り広げ、最後に競り勝って賞金王になっています。

2009年日本男子ゴルフツアー、石川遼プロが史上最年少で18歳賞金王になりました。世界6大大会でも、最年少の賞金王ということですから凄い!!
アドレスをクリックして下さい。世界最年少賞金王の記事が見られます。https://is.gd/3rI3yI

2010年の中日クラウンズ最終日、首位と6打差の18位タイでスタートした石川遼選手は、この日最多の12バーディーを奪取、ボギーはゼロで通算13アンダー。レギュラーツアー18ホールで58をマークし、世界最小スコアを記録したのです!

終わってみれば2位に5打差をつけての逆転優勝を飾り、世界の主要ツアー最小スコア記録でギネスに登録されました。下記ブルー文字(最小ストローク)をクリックするとスコアが確認できます。石川遼58世界最少ストローク

フロントナインで7バーディーを奪取して、ツアータイ記録(大会新)のハーフ28をマークした石川遼選手は、インでも5バーディーを奪い、世界最少ストローク記録を達成しました。

中日クラウンズ優勝で通算7勝目をあげた石川遼選手、優勝賞金は2400万円で、史上最速で生涯獲得賞金3億円を突破で~す!

2位の藤田寛之とポール・シーハン(オーストラリア)に5打差をつけての快勝でした。首位発進の丸山茂樹選手は5アンダーの8位タイに終わっています。

プロデビューの2008年~2018年現在までの年度別成績は、下記アドレスをクリックすると見られます(右上の年度別選択から見たい年度を選ぶ)。現在の成績も見ることができますよ。
石川 遼 https://is.gd/pN2LvK 

ハニカミ王子石川遼は救世主となり男子ゴルフを支えた!テレビ視聴率もギャラリー数も増加したが現在は?

日本ツアー最年少優勝の石川遼くんはまだ15才8か月でした。

「マンシングウェアオープンKSBカップ 2007」で解説されていた羽川豊プロが、絶叫されていたのを、鮮明に覚えています。「男子ゴルフ界に、救世主が現れたかも知れません!!」・・・と。

あの頃、男子ツアーは試合数も減っていたし、テレビ放映も消滅しそうな雰囲気でしたから。羽川豊プロも、心が躍るような気持ちだったのでしょうね。こみ上げる喜びがこもった絶叫、だったように感じていました。

羽川豊プロの予言?通り石川遼くんは、落ちかけていた男子ゴルフ人気を盛り上げました。ハニカミ王子旋風は、ゴルフ界にとどまらず、日本中を席巻(もの凄い勢いで人気を広げていく)し、社会現象となったほどでした。

ハニカミ王子と名付けたのは、実況アナウンサーだったと思います。
落ちかけていた男子ゴルフを盛りあげ、男子ツアーを支え続けた石川遼選手。

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2006年の男子ゴルフの視聴率は5%に落ちていましたが、2007年に石川遼くんが優勝してから上昇をはじめ、2008年には6.8%になっています。そして2009年も遼くん人気は上昇を続け、平均視聴率が13.6%迄あがっています。

特に、石川遼選手が優勝した時や、優勝争いをした時は、さらに視聴率がアップしていました。

  • 2009年東海クラシックで優勝した時、最終日の平均視聴率が14.6%を記録。
  • また日本オープン最終日、石川遼選手が優勝争いをした時16.1%の視聴率を記録しました。

石川遼選手の活躍と共に、2008年からギャラリー数もどんどん増え続けて、2010年のギャラリー数は、60万人をこえていたのです。ところが、遼くんが日本を離れた2013年は、37万人に減少していました。

現在のデータは確認できませんでしたが、2017年末は、30万人に満たないギャラリー数だったようです。どんどん減少しています・・・

ハニカミ王子を知らない若者が増えた!現在のギャラリー数を嘆く石川遼ファンご夫婦の嘆き!

「光陰流水の如し」とか「光陰逝水の如し」など・・いろいろな言い方があります
「光」は日、「陰」は月、「光陰」は月日や時間を表すとされています。

光陰逝水の如し(月日の過ぎ去るのは、水の流れのように速く、二度とは返らない)
ハニカミ王子と言われた石川遼くんが、日本中を感動させた「あの日」から、11年があっという間に過ぎてしまいました。

米国PGAツアーに5年間身を置いていたため、また、活躍できなかったこともあり、日本の若い世代は、石川遼の名前だけは知っているけど、華々しく活躍していたことを知らない若者が増えているのです。

遼くんのデビュー以来、観戦を欠かしたことがないというご夫婦が、
「遼くんを取り囲むギャラリーの人数が減少した、凄いショック!」と嘆いているのを聞いた若いゴルフ担当記者の方は、不思議そうに首をかしげていました。

「えっ!、こんなにギャラリーがいっぱいで、歩くのも大変ですよ!」と。

現在の日本ツアーしか知らない若いゴルフ担当記者からみると、ギャラリーがいっぱいのように思えるのでしょうね。ですが、テレビを見ていたわたしもご夫婦と同じことを感じていたのです。

わたしも2008年~2012年までは、何度も観戦に出かけました。

遼くんの周りにはギャラリーが溢れていて、思うように前に進むことができませんでした。ラッシュアワーを想像して頂ければいいかな・・・そんな状態ですね。

スタートホールの1番グリーンから、やっとの思いで2番ホールのグリーンに辿り着くと、プレーを終えた遼くんは次のホールへと向かって、遥か前方を歩いているのです。

ついて歩くのはとても無理なので、スタートホールの次は3番、その次は5番もしくは6番といった感じで、ホールを1つ飛ばし、2つ飛ばしするなどして先回りするのですが、それでもグリーン周りは、席が確保できない程ぎっしりとギャラリーがうめつくしていました。

  • 遼くんのプレーが終わるとギャラリーの大移動が始まるので、遼くんのボールがカップにおさまるのを見届けると、大急ぎで駈け出さなければなりませんでした。
  • 少し遅れると大移動の中に飲み込まれ、身動きが取れない状態になってしまうのですから。
  • とにかく、観戦に出かけた時はいつも走っている感じでした。

遼くんのデビュー以来、欠かさず試合会場を訪れているご夫婦なら、年間20試合程度は観戦されている計算ですから、溢れかえるギャラリーにもみくちゃになりながら観戦された記憶は、脳裏に刻み込まれているでしょう。だからギャラリー減少がショックだったのですね。

  • ギャラリー数の推移ですが、石川遼くんが活躍した2010年のギャラリー数は、60万人をこえていたのです。ところが、遼くんが日本を離れた2013年は、37万人に減少しています。
  • ゴルフ担当記者の年齢はわかりませんが、華々しい遼くんの活躍を知らないなんて、ゴルフ担当記者として少し勉強不足と言いたいところですが、時の流れは速く、古い情報はどんどん切り捨てられ、忘れ去られていくのですね・・

米国PGAゴルフツアーに参戦した丸5年間、遼くんは全く活躍できませんでしたから仕方がないのかもしれません。よみがえれハニカミ王子石川遼!

石川遼  https://is.gd/IC16CZ  
上記アドレスから石川遼選手のウイキペディアに移動しますよ。

現在の石川遼は選手会長!ハニカミ王子の日本ツアー復帰は今でもがっかり感がぬぐえない!

現在石川遼くんは日本男子ゴルフの選手会長となり、新しいアイデアを次々提案して実行に移そうと頑張っているのですが・・・

若い世代はハニカミ王子と聞いても、「えっ?」という顔をするかも知れませんね。米ツアーの5年間で活躍していたら、忘れられることはなかったかも知れませんが、残念な結果でしたから。

昨年秋はちょっとがっかり!しました。何故なら、石川遼選手が、2018年は日本ツアーを主戦場にすると決めた時、わたし的には、なぜだかちょっとがっかり・・・したのです。

初優勝の15才から、まるで家族になった気分で、ずっと応援してきた石川遼選手。 できるなら、米下部ツアーで戦いながら這い上がって欲しかった。

貪欲にメンタルを鍛え、「骨をうずめる」くらいの気持ちで、最後まで米ツアーを主戦場として戦う覚悟が必要だと思っていましたからね。日本ツアーで戦うのもひとつの道ではあるのですが・・・

「4月からは日本ツアー中心に試合に出たい。日本とアメリカを行ったり来たりする場合、どちらも中途半端になってしまう。アメリカもしくは日本、どちらかに決めて、腰をすえてやりたい」というのが、石川遼選手の考えた道でした。

もちろん石川遼選手自身も、5年間試行錯誤しながら戦ってきた米ツアーから離れるのは、後ろ髪をひかれる思いだったかも知れません。心の葛藤があったことは想像に難くありません。

でも石川遼くんは未だ若い!26才ですよ。
丸ちゃん(丸山茂樹プロ)は、米ツアー参戦時30才を過ぎていました。
そして3勝されています。

2017年は、37才の谷原選手が欧州ツアーだ、アジアンツアーだと、あちこち飛び回り、大きく世界を広げました。それから考えれば遼くんはまだ26才、米下部ツアーで頑張って欲しかったですね。

まとめ

あれからもう、11年が過ぎたのですね。
2007年5月、石川遼くんは15才8か月で高校に入学したばかりでした。

あの日のことは、多分一生忘れることはないでしょうね。見る者すべてを魅了し、感動の渦に巻き込んだハニカミ王子の優勝ドラマは、心に深く刻み込まれていますから!

日本ゴルフツアー最年少優勝でした。
まだ15才8か月の石川遼くんは、爽やかで女の子のように可愛い、素敵な少年でした。

解説されていた羽川豊プロが、絶叫!されていたのを、鮮明に覚えています。「男子ゴルフ界に、救世主が現れたかも知れません!!!」・・・と。

羽川豊プロの予言?通り石川遼くんは、落ちかけていた、男子ゴルフ人気を盛り上げ、ハニカミ王子旋風で、日本ゴルフ界を席巻しました。
席巻とは、物凄い勢いで人気を占めている・・・そんな意味です。

ハニカミ王子と名付けたのは、実況アナウンサーだったと思います。
落ちかけていた男子ゴルフを盛りあげ、男子ツアーを支え続けた遼くん。

2006年の男子ゴルフの視聴率は5%に落ちていましたが、2007年に石川遼くんが優勝してから上昇をはじめ、2008年には6.8%になっています。そして2009年も遼くん人気は上昇を続け、平均視聴率が13.6%迄あがっています。

特に、石川遼選手が優勝した時や、優勝争いをした時は、さらに視聴率がアップしていました。

  • 2009年東海クラシックで優勝した時、最終日の平均視聴率が14.6%を記録。
  • また日本オープン最終日、石川遼選手が優勝争いをした時16.1%の視聴率を記録しました。
  • 2007年5月アマチュアの石川遼くんは、初参戦したレギュラーツアーで史上最年少優勝を飾りました。
  • 世界6大ツアー(米、欧、豪、亜、南ア、日)での、当時(2009年)の世界最小スコアを記録!しています。
  • 上記二つがギネスブックに登録されています。

石川遼選手が米ツアーに参戦したのが2013年。それから5年間、波にもまれながらも、米ツアーでたたかい続けていました。
この間日本男子ゴルフの視聴率は下降の一途をたどり、2017年は3.8%迄落ちています。

米ツアーで、腰痛のため長い間ゴルフから遠ざかっていた石川遼選手。
復帰後は、7試合も予選落ちが続くなど、125位迄の成績を残せず、下部ツアーの入替戦にまわりました。下部の入替戦4試合でも、上位25人に残れず、残念ながらシードを落としてしまいました。

米国PGAツアーの下部は、優勝経験を持つ強豪ゴルファーがひしめいています。石川遼選手は、その中で結果を残すのは厳しいと考えたのでしょうか。2018年は日本ツアーで戦う選択をしました。

でもやはり、米下部ツアーで戦いながら這い上がって欲しかったと、今現在でも思っています。ですが戦うのは遼くんなので、いろいろ思い悩み辿り着いた結果でしょうから、ひたすら応援するしかありません。

石川遼選手は埼玉県松伏で生まれました。
生年月日は1991年9月17日。身長175cm、体重は70kgでO型です。
松伏町立松伏第二中⇒杉並学院高に進学。プロ転向は2008年1月でした。

現在は選手会長を引き受け頑張っているようですが、多忙を極め、練習時間もままならないと聞いています。日本の男子ゴルフツアーは、石川遼くんが世に出た大切な場所なのですが、もう少し自分の練習時間が取れたらいいのに・・・と思います。

まだ今のところ、遼くんらしい輝きもありませんし、思うような活躍もできていません。ファンにとって悩ましいところではあります。

2019年12月まで、選手会長としての任務もあり大変だと思いますが、社会現象を引き起こしたハニカミ王子の輝きを取り戻して欲しいですね。そして選手会長の任期が終了したら、米国PGAゴルフツアーに再挑戦してくれることを願っています!

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