怪盗ルパンの作者モーリス・ルブラン!ルパン誕生のヒントはシャーロック・ホームズ!

あなたは、アルセーヌ・ルパンをご存知でしょうか。
テレビアニメでは「ルパン三世」が大人気。三世はアルセーヌ・ルパンの孫・・・

モーリス・ルブランは、著名な推理小説家として広く世界に名前を知られている方ですが、生まれ育ちについては、それほど知られていないかも知れません。「泥棒紳士」の作者だと言えば思い出すかもね。

誰でも、好きな作家や好きな作品はあると思います。だけど下記に上げた方々の場合、誰の作品であっても「やはりミステリーは面白い!」と、病みつきになってしまうものばかり・・・

モーリス・ルブラン   :怪盗ルパン。
レイモンド・チャンドラー:フィリップ・マーロウ シリーズ。
エドガーアラン・ポー  :オーギスト・ジュパン。
エラリー・クイーン   :Yの悲劇。
ジェフリー ディーヴァー  :リンカーン・ライムシリーズ。
E・C・ベントリー   :フィリップ・トレンド。
アガサ・クリスティー  :エリキュール・ポアロ シリーズとミス・マープル シリーズ。
アーサー・コナンドイル :シャーロック・ホームズ シリーズ。

その中から今回は、「怪盗ルパン」の作者モーリス・ルブランについて調べてみましょう。

モーリス・ルブランは数ヵ国で学びましたけれど、ロースクールを落第しています。その後、フローベールやモーパッサンなどの影響を受けて、小説家を志すようになりました。

その他にも、影響を受けた作家としてモーリス・ルブランが、名前をあげているのが下記の作家。
オノレ・ド・バルザック。
ジェイムズ・フェニモア・クーパー。
アルフレッド・アソラン。
エミール・ガボリオ。
エドガー・アラン・ポー。

モーリス・ルブランはパリに引っ越し純文学の作家になり、文壇からは多少評価されていたようですが、収入に結びつくほどのものではなく、長い貧乏作家生活が続き、全くうだつが上がらなかったそうです。

そんなモーリス・ルブランに転機が訪れたのは、40才を過ぎてからのことでした。編集者をしているピエール・ラフィットと言う友人がいて、冒険推理小説を書いてみないかと依頼されました。

純文学者のモーリス・ルブランは、大衆小説を書くことに気乗りがしなかったらしいのですが、貧乏生活をしていたのでお金が欲しくて引き受けたのですね。そこでいろいろ考え知恵を絞り・・・何と「シャーロック・ホームズ」からヒントを得たのだとか。

その当時コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」が凄い人気になっていましたが、モーリス・ルブランは、名探偵の真逆を行く、コミカルで魅力的な「泥棒紳士」アルセーヌ・ルパンを作り上げたのです。

「泥棒紳士」を生み出したモーリス・ルブランは、1905年に発表された第一作目の「アルセーヌ・ルパンの逮捕」が評判になり、売上も好成績を収めたことから、続編を書くことを決めました。

それからのモーリス・ルブランは、「アルセーヌ・ルパン」に作家人生の大半を注ぎ込むことになりましたが、「ルパン」が大当たりとなったお陰で、人気作家としての名声を得ると共に豊かな報酬をも、もたらしてくれたのです。

モーリス・ルブランもコナン・ドイルと同じ悩みを抱いていた!

「アルセーヌ・ルパン」と「シャーロック・ホームズ」は対比されることが多いと言われていますよね。

コナン・ドイルは、第三者の視線でシャーロック・ホームズを見つめて書き上げているのに対し、モーリス・ルブランは、自分自身を伝記作家として登場させました。その作品が、1907年に発表した「怪盗紳士ルパン」なのです。

とても興味深いのは・・・対比されるコナン・ドイルとモーリス・ルブランが、何故か、共通の悩みを抱いていた事でしょうか・・・

歴史小説に主体を置いていたコナン・ドイルは、犯罪小説で成功することは、文学的情熱から遠ざけるもので、生活を妨害されているとさえ感じていたとも言われていて、「シャーロック・ホームズ」が大人気となったことで嫌悪感を感じ、ライヘンバッハの滝に落として「シャーロック・ホームズ」を一度死なせました。

同じように、モーリス・ルブランもまた純文学作家を志していたので、犯罪小説や探偵小説である「ルパンシリーズ」で名声を博する事に対して、忸怩(じくじ)たる思いがあったと言われているのです。そのためモーリス・ルブランもまた、1910年に発表した「813」でルパンを自殺させているのです。
♣忸怩たる思い・・・自分の言動を恥ずかしく思うこと、深く恥じ入ること。

そして、コナン・ドイルが「シャーロック・ホームズの帰還」で復活させたのと同じように、モーリス・ルブランもまた「ルパン」を復活させています。それが、1920年「アルセーヌ・ルパンの帰還」です。

モーリス・マリー・エミール・ルブラン。
生年月日:1864年12月11日。
出身地 :フランス・ノルマンディーの地方都市ルーアン。
学歴  :コルネイユ高等学校卒業。

下記は、モーリス・ルブランが書き上げた「ルパン」に関する作品。
1905年~1907年:怪盗紳士ルパン。
1906年~1908年:ルパン対ホームズ。
1909年:ルパンの冒険 ・奇岩城。
1910年:813・・・この中でルパンを自殺させています。
1912年:水晶の栓。
1911年~1913年:ルパンの告白。
1915年:オルヌカン城の謎。
1917年:金三角。
1919年:三十棺桶島。
1920年:アルセーヌ・ルパンの帰還 ・虎の牙。
1923年:八点鐘。
1924年:カリオストロ伯爵夫人。
1927年:緑の目の令嬢、山羊皮服の男とエメラルドの指輪。
1928年:謎の家。
1930年:バール・イ・ヴァ荘。
1932年:二つの微笑をもつ女 ・ジャスト五分間 ・アルセーヌ・ルパンとの十五分。
1934年:特捜班ビクトール。
1935年:カリオストロの復讐。
1939年:ルパン最後の事件。

モーリス・ルブランは「ルパンが私の影なのではなく、私がルパンの影なのだ」と言ったそうですが、その言葉からも、苦悩していた様子が見て取れると言われています。

ジム・パーネット探偵!実は・・・ルパンが名探偵になっていた?!

1927年になってモーリス・ルブランは、新しい探偵ジム・バーネットを登場させますが、実はこの・・・探偵ジム・バーネットは「ルパン」だった・・・ことが、後になって明かされました。

1928年になって発表された「バーネット探偵社」は、モーリス・ルブランによるアルセーヌ・ルパン・シリーズの一篇なのですが、連作短編集になっています。探偵バーネット(ルパン)とベシュ刑事の奇妙なコンビが次々と事件を解決してゆくというもの。

アルセーヌ・ルパンが探偵として活躍する手腕と、怪盗として魅せる手腕が上手く表現されているなんて、ルパンシリーズでしか見られない・・・かも知れない、風変わりな探偵小説。

♣「連作短編集」は、単なる短編集とは異なっていて、短編集全体を通して作品が密接な繋がりを持っている・・・それが連作短編で、全体を通しての順序などが重要。

1928年に発表された、日本語タイトルは「ルパンの名探偵」で南洋一郎氏の訳版です。
♣南 洋一郎(みなみ よういちろう):児童文学・冒険小説・ノンフィクション作家で、翻訳家。
1893年1月20日生まれで、亡くなられたのは 1980年7月14日。

パリのど真ん中で「調査無料」の看板を掲げた「バーネット探偵社」。
社長兼探偵・ジム・バーネット(ルパンなのですが、本編の中では正体が明かされません)。
調査無料とうたいながら、実は、効率よく関係者の懐から利益を掠め取っている(怪盗ですから)。
そんなバーネットに腹を立てているのですが、ベシュ刑事は探偵としての手腕を頼ってしまいます。

水は流れる           :Les Gouttes qui tombent。
ジョージ王のラブレター     :cyLa Lettre d'amour du roi George。
バカラの勝負          :La Partie de baccara。
金歯の男            :L'Homme aux dents d'or。
十二枚の株券          :Les Douze Africaines de Béchoux。
偶然が奇跡をもたらす      :Le hasard fait des miracles。
白い手袋…白いゲートル     :Gants blancs... guêtres blanches。
ベシュ、ジム・バーネットを逮捕:Béchoux arrête Jim Barnett。
壊れた橋           :The bridge that broke:英訳版のみに存在。

2004年に映画「ルパン」が公開されていますが、それに合わせるように、2005年早川書房が「ミステリマガジン」の中で「ルパン特集」を組み、同時に住田忠久氏が「壊れた橋」を発掘した経緯が掲載されました。

「壊れた橋」の存在は、フランスでも知られていなかったと言う貴重なもので、「壊れた橋」を発掘した住田忠久氏が、モーリス・ルブランの遺族やフランスのミステリファンに伝える形になった・・・と言われていますが、凄いことですよね!♣住田忠久氏は日本のアルセーヌ・ルパン研究家の第一人者。

2013年に、モーリス・ルブラン遺稿の最終作「ルパン、最後の恋」の文庫版が、早川書房より発売されていますね。その時「壊れた橋」も同時に収録されたようです。

まとめ

1930年代になってからモーリス・ルブランは、文学界からも作家として高い評価を得るようになりました。

ジャーナリストのフレデリック・ルフェーヴルから「今日の偉大な冒険作家のひとりであり、同時に純然たる小説家・・・正真正銘の作家だ」と称賛されていたのです。

1930年代には、恋愛小説「裸婦の絵」「青い芝生のスキャンダル」なども書いているんですね。小説の戯曲化にも意欲を注いでいたモーリス・ルブランは、1935年に『闇の中の男』・・・「赤い数珠」を舞台化したものですが、大成功でした。

晩年「ルパンとの出会いは事故のようなものだった。しかし、それは幸運な事故だったのかも知れない」との言葉を残したモーリス・ルブランは、1939年「アルセーヌ・ルパンの数十億」まで、ルパンシリーズを書き続けています。

1919年8月、モーリス・ルブランは文学への貢献によってレジオンドヌール勲章を授与されていますが、「国民的英雄・ルパン」の創造によるものだとか。

モーリス・ルブランは、1941年11月6日に、ペルピニャンのサン=ジャン病院で亡くなりました。

亡くなる直前に、妹ジョルジェットが亡くなったことを息子クロードから知らされたモーリス・ルブランですが、その時すでに意識が無くなっていたそうです。モーリス・ルブランは、パリのモンパルナス墓地で眠っています。

クロード・モネの絵で有名な大西洋岸の町エトルタには、モーリス・ルブラン住居を基にしたモーリス・ルブラン記念館、通称「アルセーヌ・ルパンの隠れ家」があります。

そして、クロード・モネの絵に描かれた有名なエトルタの岸壁は、頂上に登ると崖の内部に潜れるようになっていて、「奇巌城」に登場する暗号がそのまま金属プレートで掲示されているそうです。

スポンサーリンク

おすすめの記事