麻木久仁子 脳梗塞と乳がん発症するも治癒!闘病生活5年 整形の暇ないよね??

闘病されていた麻木久仁子さんですが、最近はテレビなどでも、元気な姿を時々拝見しています。
薬膳料理の資格も取得されていますし、乳がんや脳梗塞を患った経験者として、あちこち講演会に出向かれているようです。

乳がんが見つかったのが49才、脳梗塞発症はその1年前で48才でした。闘病前は、クイズの女王として大活躍されていた麻木久仁子さんですが、先日の東大王で久々にクイズ番組に出演されていました。デヴィビ婦人たっての要請だったそうですけれど。

脳梗塞は、いつ、何処で、突然起きるかわかりませんよね。でも、気をつけていれば予兆はあるらしいのです。体験された麻木久仁子さんによれば、身体のあちこちに異変を感じていたそうです。

本当に怖いですよね。脳梗塞に限らず、病気って、いつ何処で起きるかわからないので尚更怖い。ただ、多少の知識・・・と言うか情報を蓄積しておけば、ずいぶん違うと思います。いざという時には対処の仕方に差が出るでしょう。

人によって、症状の現れ方は多少違うかもしれませんが、似通った症状が現れるのでしょうね。麻木久仁子さんが感じていた体の異変は、どんな感じのものだったのでしょうか。

麻木久仁子さんの場合は、右側の手脚だけが酷く腫れては、ふいっと治るということが、1日に何回も起きていたそうです。

また、仕事が終わり帰宅した玄関先でしびれに襲われ、鍵穴に、鍵を差し込むこともできなかったり、クイズ番組に出ている時には、自分の順番が来たのに、急に痺れて回答を書きたくても身動きできず、マジックに触れることさえできなかった・・・などの症状が出ていました。

この頃不倫騒動があり大忙しの毎日で、おそらく睡眠も思うように取れていない時期があったのではないでしょうか。いろいろな要因が重なり最悪の事態を招きました。この時受けたストレスは想像も出来ない程大きく、間違いなく心身に悪影響を与えたでしょう。

麻木久仁子さんはその当時の状態について「正座していて急に立ち上がると、何も感じないほど痺れ切っていることがあるでしょう。それが右手と右足だけに来る感じ」だったと話されていました。

そして「どこから血栓が飛んだのか」を調べるために、体中の動脈を診察してもらったのですが、悪いところは何もなく、「なんて奇麗な頸動脈!」と医師に言われたほどだったとか。

そのような経緯で、原因そのものはわからなかったのですが、「ストレスが原因の可能性もあるから、ストレスをためないようにゆっくりしなさい」と医師に言われた麻木久仁子さん。

5年にわたる闘病生活を送った麻木久仁子さんに、整形疑惑があるそうですが、不安を抱えながら闘病しているのに、ちょっと考えられませんよね。そのあたりも確認してみましょう。

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大病発症5年の闘病生活で治癒!顔は若い頃と同じ整形は ないでしょう!

麻木久仁子さんは48歳で脳梗塞を患いましたが、幸い軽度で済んだので後遺症もないそうです。ただそのとき否応なく自分の体の現実と向き合うことになったと話されています。

今迄は高血圧とか糖尿病とか、数値に表れる異常とは縁がなかったのに、思いもよらぬ脳梗塞発症で、「自分が思っているほど身体は若くない」と、思い知らされたと言うことでしょうか。

まもなく50歳というときに経験した脳梗塞は、「これからの生き方を見直そう」と考える契機になったとも話していらっしゃいました。

脳梗塞に続き、49歳でまさかの乳がん発覚だなんて、ダブルパンチですよね。
以前にも、人間ドックに行かれたことあるそうですが、軽い気持ちで「50の大台記念」・・・そんな思いで、49才の夏、人間ドックに行った麻木久仁子さん。

乳がん検診について、麻木久仁子さんはこのように話していました。「乳がんは胸の大きい人の方がリスクが高い」と思い込んでいたので、胸が大きくない自分には必要ないかも知れないと考えていたそうです。

ただ、今回は50代のスタートラインなのだから、全項目埋めよう、乳がん検診も受けておこう。そんな軽い気持ちで乳がん検診、マンモグラフィー検査を受けた麻木久仁子さん。

マンモグラフィー検査で再検査になり、結果を聞きに行くと、「左右の乳房、ともにがん細胞がありました」と告げられました、左右両側同時のがん発症・・・「ただの乳腺炎でした」というような言葉を期待していた麻木久仁子さんですが、かすかな希望はいとも簡単に打ち砕かれてしまいました。

言葉もなく呆然としている麻木久仁子さんに医師は、下記の内容について丁寧に説明しました。

  • 早期発見なので治癒が見込めること。
  • 両側に発症しているので、手術の後も再発防止策をしっかり取ろう。
  • 手術は乳房温存。
  • 放射線治療とホルモン治療を組み合わせて対処しよう。

麻木久仁子さんは「これから長いお付き合いをしましょうね」と言う先生の言葉に、どれほど励まされたかしれないと語っていました。長く生きてこその長いお付き合い。信頼できる医師にめぐり会えた幸運を感謝せずにはいられませんでした・・・と。

麻木久仁子さんは2010年、山路徹氏、APF通信社代表取締役と再婚していたのですが、この離婚・再婚が不倫だったのではないかとの疑惑が話題になってしまっていた。そしてこのあと、2010年暮れに軽い脳梗塞を発症していたのです。

脳梗塞を作る元になるような病気もなく、「どこから血栓が飛んだのか」を調べるために、体中の動脈を検査したのですが、「何てきれいな頸動脈!」と医師から言われた程何もなかったようです。

原因はわからず医師から「ストレスが原因の可能性もあるから、ストレスをためないようにゆっくりしなさい」と言われました。ひょっとしたら、不倫騒動が大きなストレスとなり、脳梗塞を引き起こす誘因の一つになったかもしれませんね。

2017年11月、術後5年が経過して、5年間のホルモン治療も終了しています。ホルモン療法は1日一回薬を飲むだけですが、5年間も続けて服用していると、薬の副作用にも悩まされることもあったようです。また、放射線治療は、左右に30回ずつ行うので、合計60回もの照射を行いました。

主治医の先生から「おめでとう」と言われたそうですが、嬉しかったでしょうね。わずか5文字の「おめでとう」の一言は、心に響いたでしょう。5年間頑張ったご褒美かも知れません。

現在、数多くの講演会に赴き、闘病体験を語り、検診の大切さを伝えている麻木久仁子さん。早期発見できたことで治療の負担が比較的軽くて済んだことから、「ぜひみなさんにも検診を受けていただきたいと言う思いを強くしています」と。

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治療を進める一方で、「疲れた」「眠れない」「イライラする」などの症状に悩まされることが増えたのを機に、「健康」について考え、食材の力を意識した食生活「薬膳」に切り替えていきました。

そして2016年、「国際薬膳師」の資格を取得し、レシピ本も発売されています。薬膳では、口に入るものはすべて薬」と考えられているそうです。

そんな麻木久仁子さんが、整形したとかしないとか・・・一部でそんな噂が出ていたようです。

でも。麻木久仁子さんの若い頃の写真と現在の写真を見比べてみましたが、ほぼ同じ顔をしていますし、整形をしたという事実はなさそうですよ。

髪型やメイクが大きく変わっていますが、おそらく、整形メイクによる顔の変化の影響が大きいような気がします。5年間も闘病されて、薬の副作用にも悩まされていたそうですから、整形して、余計な負担がかかるようなことはしないでしょう。

闘病5年は長いですから、元気な顔に見えるような整形メイクをされていたと思われます。

クイズの女王だった麻木久仁子さん!宇治原史規さんの恩人?

大病される前は、クイズの女王と呼ばれていた麻木久仁子さん。
麻木久仁子さんは知的に見えるし、コメントも的確に答えられている印象が強いですよね。

いろいろなクイズ番組に出演されていましたが、クイズの解答をするだけではなく、いつも明るく柔らかい雰囲気でその場を盛り上げ、視聴者だけではなく出演者も楽しませていた麻木久仁子さん。

今では、Qさまのクイズ番組に欠かせない存在となったロザンの宇治原史規さんは、常々こんなことを話していました。「今の自分があるのは麻木久仁子さんのおかげだ」と。

麻木久仁子さんが企画した「クイズサミット」と呼ばれている食事会があったのですが、クイズ好きが集まる食事会だと言います。やくみつるさんや宮崎美子さんなど、常にトップを争う方々が参加していました。そこに宇治原史規さんも参加していたそうです。

各自が考えたクイズ問題を持ち寄り、呑んだり食事をしたりしながら、本音で語り、楽しく問題を解いていたのでしょう。想像しても面白そう。

宇治原史規さん「僕の恩人は、麻木久仁子さんです。もう78年前の話になるんですが、僕が東京のクイズ番組に、ちょこちょこ呼んでもらうようになった頃、麻木さんとの接点は「熱血!平成教育学院」でした」と話していました。

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「その番組の中で、麻木さんが自ら考えて作って下さった「宇治原君、好きです」という感じでこちらに絡んできて頂きました。こちらもそれに応えることで、ノリノリ状態が出来上がっていく。これが僕にとっては、本当にありがたかったんです」宇治原史規さんはそのように話しています。

そのような絡みがあって宇治原史規さんが目立つようになり、違うクイズ番組からも声がかかるようになったのでしょう。だから恩義を感じているのですね。「熱血!平成教育学院」は確か、たけしさんやユースケ・サンタマリアさんが司会や進行係だったような記憶があります。

確か、宇治原史規さんがクイズ番組に四六時中顔をだすようになったのは、「熱血!平成教育学院」が終了した頃からでしたよね。

麻木久仁子さんが今でも「クイズサミット」は続けていらっしゃるのかどうかは不明ですが、ここを拠点にして宇治原史規さんはクイズ王と言われるまでになったのは確かでしょう。

麻木久仁子さんスカウトされ芸能界に入り大活躍!

麻木 久仁子 (あさぎくにこ)プロフィール
本  名 :田中久仁子(たなか くにこ)
生年月日 :1962年(昭和37年) 1112日。
出身地  :日本 東京都 大田区 。
血液型  : A型 。
身  長 : 159 cm 。
体  重 : 45 キロ。

高  校 :東京都立国分寺高等学校卒。
大  学 :学習院大学法学部 中退。

大学を中退したのは、両親が離婚した為奨学金をもらって大学に通っていた。しかし生活のため、アルバイトに追われる毎日で、進級に必要な語学の単位が不足してしまい、3年生に進級できず奨学金が打ち切られたといいます。

アルバイト先でスカウトされ大学を中退後、芸能活動を始めています。
一番最初の仕事はCMで、「東京ディズニーランドの開園告知」でした。その後は、モデルとしてサントリーのテレビCMに出演し、1986年には「シャツの店」と言うNHKドラマに女優デビュー。

麻木久仁子さんは、最初は本名で活動されていたようですが、1987年ころに現在の麻木久仁子と改名されたそうです。聞けば、麻木久仁子さんの本名だと、画数が不幸を招いたり早死にするなどの、凶も凶、大凶だと言うのです。

そして考えられたのが、名前に木の字が3文字入っているので、「木が生い茂るように」「仕事などが沢山来るように」そんな意味が込められて現在の麻木久仁子さんに改名。

改名後に出演した「いい旅・日本」は麻木久仁子さんにとって転機になったそうです。ところが、1988年に「オールナイトフジ」の司会に大抜擢されながら、間をつなぐおしゃべりやコメントに失敗するなどして、1クールで降板となった。

意気消沈していたところ、何とその直後に「ヴィヴィアン」のレギュラーに決まったのです。1990年に入ると「KOSE・カウント・ダウン・ジャパン」や「TVおじゃマンボウ」の司会を務めるなど大活躍。

その他にも、「文芸春秋BOOK倶楽部」の書評委員になり、「婦人公論」の婦人公論井戸端会議で司会も務めました。

1994年4月には、映画・ドラマ「踊る大捜査線」の音楽を手掛けた、幼馴染でもあった作曲家の松本晃彦さんと結婚していました。1女に恵まれましたが、お互いに多忙で、すれ違いが多くなり、話し合った結果20063月末に離婚しています。

プロが絶賛する麻木久仁子さんのキッチン片付け術!

2018年4月に放送された「冷蔵庫の中身、全部出してみるンデス」のコーナー。森三中の村上知子、クワバタオハラのくわばたりえが、麻木久仁子さんの自宅キッチン周りを調査しました。

麻木久仁子さんて凄いですね。包丁が10本もあるのですが、こだわりの包丁らしいので相当いいものが揃っているのでしょうね。

そして奇麗に整理整頓された数々の調理器具がありました。調査隊の2人も「お料理が大好きだと言うのがわかる」と大絶賛しています。

さらに驚いたのが冷蔵庫。収納や活用の仕方が徹底しているのです。冷蔵庫の扉に奇麗に並べられている28種類のケースはマグネット付きで中身は薬膳。

中身が何かわかるように、一つ一つパッキングされていて付箋がついている。勿論付箋には名前が書いてあります。使い忘れがないように管理も万全だと言います。

いつもならいろいろなアドバイスをする家事アドバイザーの島本美由紀さんも、「今日はわたしの出番なし、いらないですよ」と絶賛!

見ていた視聴者の方々も「奇麗な冷蔵庫」「冷蔵庫凄い!」など、徹底した収納の仕方に感嘆したり、驚いたり・・・されているようでした。

麻木久仁子さんの凄いところはまだほかにもあるのです。麻木さん自身がつけている「紅ショウガやらっきょう」、そして薬膳ソースもつくっています。料理の腕はプロ級だそうですよ。羨ましい!

更に・・・さらに、2016年に「国際薬膳師」の資格を取り、レシピ本も出版していますし、料理講座の開催もされているのだとか。

まとめ

麻木久仁子さんに乳がんが見つかったのが49才、脳梗塞発症はその1年前で48才でした。
闘病前は、クイズの女王として大活躍されていた麻木久仁子さんですが、5年間もの闘病生活を過ごされていたのですね。

脳梗塞は、いつ、何処で、突然起きるかわかりませんよね。でも、気をつけていれば予兆はあるらしいのです。体験された麻木久仁子さんによれば、身体のあちこちに異変を感じていたそうです。

人によって、症状の現れ方は多少違うかもしれませんが、似通った症状が現れるのでしょうね。麻木久仁子さんが感じていた体の異変は、右側の手脚だけが酷く腫れては、ふいっと治るということが、1日に何回も起きていたそうです。

また、仕事が終わり帰宅した玄関先でしびれに襲われ、鍵穴に、鍵を差し込むこともできなかったり、クイズ番組に出ている時には、自分の順番が来たのに、急に痺れて回答を書きたくても身動きできず、マジックに触れることさえできなかった・・・などの症状が出ていました。

上記の症状は脳梗塞の症状ですが、乳癌は、気軽に受けた人間ドックの検査で見つかりました。乳癌の治療についての説明は下記のとおりですが、何よりもよかったことが、早期発見だったこと。

  • 早期発見なので治癒が見込めること。
  • 両側に発症しているので、手術の後も再発防止策をしっかり取ろう。
  • 手術は乳房温存。
  • 放射線治療とホルモン治療を組み合わせて対処しよう。

麻木久仁子さんは「これから長いお付き合いをしましょうね」と言う先生の言葉に、信頼できる医師にめぐり会えた幸運を感謝せずにはいられませんでした・・・と。

2017年11月、術後5年が経過して、5年間のホルモン治療も終了しています。

ホルモン療法は1日一回薬を飲むだけですが、5年間も続けて服用していると、薬の副作用にも悩まされることもあったようです。また、放射線治療は、左右に30回ずつ行うので、合計60回もの照射を行いました。言葉で言えば5年間は一言ですが、5年の闘病は大変だった筈。

でも治癒したのは、早期発見だったからなのですね。

現在、数多くの講演会に赴き、闘病体験を語り、検診の大切さを伝えている麻木久仁子さん。早期発見できたことで治療の負担が比較的軽くて済んだことから、「ぜひみなさんにも検診を受けていただきたいと言う思いを強くしています」と。

闘病されていた麻木久仁子さんですが、最近はテレビなどでも、元気な姿を時々拝見しています。
薬膳料理の資格も取得されていますし、乳がんや脳梗塞を患った経験者として、あちこち講演会に出向かれているようです。

両親の離婚で、アルバイトに時間を取られ単位が取れず大学を中退したのですが、弁護士を目指していた麻木久仁子さん。いつ見ても知的な感じがしますよね。

以前のようにクイズ番組で、麻木久仁子さんの姿が見られるようになればいいな。まだ50才を過ぎたばかり、ますます活躍していただきたいと思える方です。

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