大迫傑は3位 設楽悠太 独走するも力尽き14位!五輪マラソン代表 中村匠吾と服部悠馬!

9月15日、マラソングランドチャンピオンシップが行われました。
全く予想外の展開!
優勝した中村匠吾選手は、2020年のオリンピック代表の座を獲得。
中村匠吾選手の優勝を予想した方は、誰もいなかったでしょうね。

瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダー曰く。”中村匠吾選手は誰も注目していなかったから、プレッシャーを感じることなく走れた。だから勝てた”・・・と。期待されるプレッシャーというのは、本当に大変なものらしいですからね。

中村匠吾選手は暑さに強く、ロングスパートを得意としていますが、遺憾なくその力を発揮!39キロを過ぎた地点でスパートをかけましたが、すぐ大迫傑選手に並ばれます。そこでまたスパート。今度は大迫傑選手と服部悠馬選手に追い上げられます。

しかし中村匠吾選手は、そこから3回目のスパートをかけました。その後は最後まで力強い足取りでゴールを駆け抜けています。2位の服部悠馬選手に8秒差をつけて優勝。大迫傑選手は3位でゴール。

ただ、大迫傑選手は、途中35キロ地点あたりから、何度も右の脇腹を押さえていたので、何かが起きていたのかも知れません。

レース前、設楽悠太選手は、スタート直後に飛び出して、誰もついてこられないようなスピードで走る・・・と宣言。宣言通りスタート直後に飛び出し、25キロ迄は、3分前後のラップを刻み快調に走っていました。一時は2位集団との差は2分以上も開いていました。

行けるところまで行こうと決めていたそうですが、27キロ辺りから徐々にスピードが落ちはじめ、31キロ地点で急激なペースダウン。後続ランナーの足の運びと比べれば、設楽悠太選手の足は、殆んど動いていない・・・そんな様子が見て取れました。

急激にスピードが落ちて、37キロ辺りで2位集団に飲み込まれ、ついて行くことが出来ずに後退。ゴールしたのは14位でした。せめてついて行くだけの足が残っていれば・・・と残念。でも、果敢に挑戦してドキドキワクワクさせてくれましたよね。

瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは、設楽悠太選手が、宣言通り序盤から独走して、37キロ付近で首位交代になったことにふれ、”設楽君の勇気を称えたい!本当によくやりました!”と絶賛。

”我々の目的はMGCではありません。オリンピックで戦えるためにやっていますから” とも語りました。つまり、設楽悠太選手の目標はMGCではなく、世界の強豪と戦うことを見据えての挑戦だったと言うことでしょうね。

また瀬古利彦氏は、「もう少し気温が低ければ、あのまま逃げ切ったと思う。暑さにやられたようだが、とにかく、設楽悠太選手は大変な力をつけている」とも語っていました。

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優勝した中村匠吾手と2位になった服部悠馬って?

中村匠吾選手が駒澤大学3年生だった2013年に、東京五輪開催が決まりました。その時、大八木弘明監督から「五輪まで本気で指導するからお前も本気で取り組め」という言葉をかけられたそうです。

駒澤大学を卒業した2015年「駒澤大学を拠点にして練習を続けてもいい」と認めてくれた富士通に入社。大八木監督の方針に従って、社会人2年目までは将来を見据えて5000メートル中心に、スピードを鍛えました。

2017年、日本選手権5000メートルで3位に入ると、18年には満を持してマラソンに転向しています。2018年3月のびわ湖毎日マラソンは、初マラソンでしたが、日本勢トップの7位になりMGC出場権を獲得。2018年9月のベルリンでは、2時間8分16秒を出しました。

中村 匠吾(なかむら しょうご)
生年月日:1992年9月16日
出身地 :三重県四日市市。
出身校 :上野工業高校(伊賀白鳳高校)・駒澤大学経済学部経済学科卒業。
所属先 :富士通陸上競技部。

2010年、上野工業高校3年時、沖縄インターハイ5000mで3位入賞(日本人2位)。
2010年10月、5000m高校歴代7位(当時)の13分50秒38を記録。当時の5000mで同世代最高記録保持者に。
しかし1ヵ月後に、駒澤大学でチームメイトとなる村山謙太選手が13分49秒45をマークし抜かれる。

駒澤大学入学後しばらくの間、村山謙太選手らの影に隠れ目立った活躍はありません。
努力を重ね着実に力を付けた中村 匠吾選手は、2013年関東インカレで2部10000mで優勝し、同じ2013年に行われた日本選手権でも10000mに出場し5位入賞。

2013年ユニバーシアードにハーフマラソン代表選手として出場し、銅メダルを獲得。
2014年3月に開催された世界ハーフマラソンにも、チームメイトの村山謙太選手と共に、日本代表として出場しました。

大学駅伝では、出雲駅伝と全日本大学駅伝では1区を走り区間賞獲得。箱根駅伝でも1区を走りましたが、区間賞は取れていません。しかし駅伝で活躍できた1年間だったようです。

大学4年時にはチームの主将を務めてましたが、不調に悩まされ続けてレースへの出場も減少。しかし秋口からは調子を上げ、全日本大学駅伝では4区を走り区間賞。駒澤大学の全日本大学駅伝4連覇に貢献。

駒澤大学4年生の時、第91回箱根間では再び1区を走り、終盤、先頭集団から振り落とされそうになりながら、粘りの走りで先頭に追いつき、最後にスパートを仕掛けると、トップで村山謙太選手にタスキをつなぎ区間賞獲得。この頃から粘りの走りをしていたのですね。

MGCで2位に入った服部悠馬選手は、徹底した準備でレースに臨みました。コースの試走は何回やったか覚えてないくらい走ったそうです。そして、コース上のポイントを頭と体に染みこませて挑み、大迫傑選手を抜き去りました。

福岡国際マラソン、日本勢14年ぶりとなる優勝を遂げた4回目のマラソンでは、以前、終盤に失速した過去の反省を踏まえて、1キロ3分ペースでどれだけ走ってもフォームを崩さない・・・練習を徹底的にやり遂げ、優勝しました。

服部悠馬選手が今も忘れられないレース、それは・・・2011年東日本大震災がおきた年でした。2011年12月25日に行われた全国高校駅伝。当時 仙台育英高3年だった服部悠馬選手は「1区」を走りましたが、レース中脱水症状になり区間21位の大ブレーキ。

レース後は病院に直行しましたが、東日本大震災の被災地仙台の期待に応えられなかったと言う思いが、胸に突き刺さり、生まれて初めて挫折感を味わったそうです。

その時、仙台育英高の監督だった清野純一氏から「今日の失敗は10年後に返してくれたらいいよ」と言われて、救われたような気がしたと言います。服部悠馬選手は「監督の言葉はずっと心に響いていて、今も僕の支えになっている」と。

東洋大学の2年先輩に、設楽悠太兄弟がいます。
東洋大学3年生と4年生時に、箱根駅伝「花の2区」を走った服部勇馬選手は、2年連続で区間賞を取るなど、この頃から実力のある選手でしたが、MGCで2位に入り2020年のオリンピックの出場権を獲得。

服部 勇馬(はっとり ゆうま)。
生年月日:1993年11月13日 。
出身地 :新潟県十日町市。
学歴  :仙台育英高等学校卒業・東洋大学経済学部卒業。
所属先 :トヨタ自動車。

才能はありながら、中々上昇機運に乗れませんでしたが、ここにきてようやく力を発揮。今後は大迫傑選手や設楽悠太選手などと共に、マラソン界を盛り上げてくれるでしょう。

大迫傑と設楽悠太はどうする?ダメもとで設楽悠太は東京マラソンに出るか?

レース終了後に大迫傑選手は、予想通りの展開だったが、後半は足に力が残っていなくて、最後に抜かれて非常に残念。最低限ではあるけれど次につなげたと語っています。

また、スタートから設楽悠太が飛び出したことで、内心焦りはあったと言います。ただ、集団の中で2位を取ればいいと思いながらも、優勝を狙っていたとか。

終盤にきても、中村選手や服部選手は足をためていたのに、自分自身は足が残っていなくて完敗です。最低でも2番と考えていたので口惜しいし、中途半端・・・だとも語っています。

大迫傑(おおさこ すぐる)
生年月日:1991年5月23日。
出身地:東京都町田市。
身長:170センチ。
体重:53キロ 。
所属:ナイキ・オレゴン・プロジェクト。

2011年:早稲田大学1年生の時:1区を走り区間賞。
2012年:2年生でも1区を走り区間賞。
2013年:3年生では3区を走って区間2位。
:この時は12位で襷を受取り快走しましたが、東洋大学の設楽悠太選手に8秒及ばず2位。
2014年:1区を走りましたが、結果は5位でした。

タイム:2時間5分50秒:シカゴマラソン。
トラック競技では下記の日本記録を持っています。
2014年:3000メートルの日本記録。
2015年:5000メートルの日本記録。

設楽悠太選手はスタート直後に飛び出し、25キロ迄は、3分前後のラップを刻み快調に走っていました。一時は2位集団との差は2分以上も開いていました。

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行けるところまで行こうと決めていたそうですが、27キロ辺りから徐々にスピードが落ちはじめ、31キロ地点で急激なペースダウン・・・37キロ地点で2位集団に呑み込まれ、ついて行けずに14位でゴール。

設楽悠太選手は、今後のレースについては「いまは何も考えたくない。ゆっくりしたい」と。序盤の飛び出しとハイペースについては、後悔はありませんと言い切っています。

設楽悠太選手箱根駅伝の記録
  • 1年生の時は3区を走って8位。
  • 2年生では7区を走り区間賞、
  • 3年生の時は3区を走って区間賞。
  • 2014年、大学4年生だった設楽雄太選手は箱根駅伝で3区を走り区間賞(この時東洋大学は4回目の総合優勝を飾っています)

設楽 悠太(したら ゆうた)。
生年月日:1991年12月18日。
出身地 :埼玉県寄居町。
学歴  :埼玉県の中学校、高校を卒業して、東洋大学経済学部経済学科卒業。
所属先 :Honda 実業団の長距離選手。

大迫傑選手の持つ2時間5分50秒・・・この記録を破る選手が出なかった場合、大迫傑選手が、3人目の五輪代表に選ばれます。しかし、下記いずれかのレースで、2時間5分50秒を1秒でも上回る2選手がいれば、その選手が代表になります。

2019年12月 :福岡国際マラソン。
2020年   3月:東京マラソン。
2020年   5月:びわ湖マラソン。

設楽悠太選手は、今は何も考えられないと話していますが、東京マラソンに出るような気がします。だって、このまま手をこまねいていては五輪に出ることはできません。一か八かの勝負をかけてくるのではないでしょうか。駄目で元々なんですから。

まとめ

2020年東京五輪男女マラソン代表の“最後の1枠”となる3人目は、「MGCファイナルチャレンジ」で決定されます。

男子は、
2,019年12月:福岡国際マラソン。
2020年   3月:東京マラソン。
2020年   5月:びわ湖マラソン。

女子は、
2019年12月:さいたま国際。
2020年  1月:大阪国際女子。
2020年  3月:名古屋ウィメンズ。

誰も、派遣設定記録を突破できなかった場合には「MGC:マラソングランドチャンピオンシップ」で3位に入った選手が代表に選ばれることが決まっています。

2020年3月に東京マラソンを走った選手の疲労が、4ヶ月後の7月のオリンピックまでに、完全に抜けきるかどうか・・・なんて言われているのですが、瀬古利彦氏はこんな風におっしゃってました。

設楽悠太選手は、おそらく東京マラソンに出るだろう・・・と予言?
マラソンの常識にとらわれず行動できる設楽悠太選手は、走りながら調整できる天才肌のランナーなんだと。また大迫傑選手と設楽悠太選手は、二人とも2時間5分49秒を出せる力を持っていると明言。

今後について大迫傑選手は、これからどうするべきかを相談すると話していましたし、設楽悠太選手は、今は何も考えられないと話しています。今後、この二人がどのような行動をとるのか、とても気になるし目が話せません。

大迫傑選手と設楽悠太選手、二人ともオリンピックに出て欲しいな!
でも、ないものねだりなんですよね。ルールで決められていることだから。
わかってるけど、ちょっと口惜しいな。

泣いても笑っても3試合で、全てが決まります。
今さらですが、選ぶと言うことは難しいものですね、つくづく感じます。
待ちましょう、2020年3月の終わりまで。わくわく半分不安半分で・・・

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