宇宙飛行士については、宇宙ステーションに長期滞在するため地球を飛び立つ時、長期滞在て地球に帰還する時など、ニュース映像で取り上げられるので、ご存知の方も多いのかなと思います。

今回は日本人女性で初めて、宇宙飛行士となられた向井千秋さんについて、次のようなことをお話ししたいと思います。

  • 向井千秋さんが、女性初の宇宙飛行士に応募されたのは何年で、選出されたのは何年後?
    応募された時は、どんな仕事をされていたのか
  • 初搭乗されたのは何年
    搭乗されたスペースシャトルの名前や搭乗回数
    宇宙からの第一声はどんな言葉だったのか
  • 女性宇宙飛行士として初搭乗された時、シャトル内で行った実験はどんなこと
  • スペースシャトルは何機あるのか、それぞれの名前は?
    スペースシャトルができたのはいつ頃だったのか
  • 女性宇宙飛行士以外の肩書や役職、そして向井千秋さんの略歴について
  • 向井千秋さんのご主人は、どのような方で、どんな仕事をされているのか
  • お母様はどのような方なのか 、また千秋さんが「母から教えられた」と話されているのはどんなことなのか
  • 現在の向井千秋さんの動向について

あなたは、宇宙から地球を見下ろしてみたい、と思ったことありません?
宇宙からの中継を見るたびに、蒼い地球を、自分の目で見たいと思いました。

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同じ人間として生まれてきても、人はそれぞれ、全く違う人生を歩みます。
わたしのような凡人には想像もできない、かけ離れた世界に身をおかれた向井さんのことを、もっと詳しく知りたいって思いませんか?
女性宇宙飛行士として向井千秋さんが歩かれた道を、一緒に辿ってみましょう。

向井千秋さんて誰なの?スペースシャトルって何?

向井千秋さんのこと、あなたはご存知でしょうか。日本人初の女性宇宙飛行士だった方ですが。ご存知だったらごめんなさいね。でも23才くらいまでの方々は、向井千秋さんの名前を聞いても、「えっ!?」と不思議そうな顔をするそうです。もっともこれは、街頭インタビューなどで得た数値だと聞いています。

ちょっと意外な気がするのですが、報道関係にたずさわる仕事をされている方でさえ、「えっ!?誰なんですか、その方?」・・・とまあ、このような反応だったそうです。
向井千秋さんを知らないだけではなく、スペースシャトルも知らないというのですから、少しおどろき。

スペースシャトルは4機あり、下記のようにそれぞれ名前がついています。

  • 「コロンビア号」
  • 「ディスカバリー号」
  • 「アトランティス号」
  • 「エンデバー号」

スペースシャトルは、アメリカ航空宇宙局(NASA)が、1981年から2011年にかけて135回打ち上げた、有人宇宙船(宇宙輸送システム)です。詳細は下記スペースシャトルの文字をクリックして、ウイキペディアで確認して下さいね。 スペースシャトル

向井千秋さんが、宇宙飛行士募集に応募されたのは1983年。
2年後の1985年に宇宙飛行に選出されています。

  • 初搭乗は1994年7月9日で、スペースシャトル名はコロンビア号。アジア人女性宇宙飛行士では、初めてスペースシャトルに搭乗されました。
    「天女になって飛んでいるような気がします」向井さん、宇宙からの第一声でした。
  • 1998年には、スペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗され、2回目の宇宙へ。
    向井千秋さんが、ディスカバリー号に搭乗されてから、もう20年になるのですね。
  • ペイロードスペシャリストとして搭乗した向井千秋さんは、宇宙メダカをはじめとした、水棲生物の生育や宇宙環境が人体に与える影響の調査など、多忙な実験スケジュールを2週間にわたってこなされています。
  • 向井宇宙飛行士は、2回のスペースシャトルミッションに搭乗して数多くの宇宙実験を行いました。当時は国際宇宙ステーション(ISS)がまだ存在していない時期で、スペースシャトルの貨物室に宇宙実験室(スペースラブやスペースハブ)を搭載し1~2週間宇宙に滞在して科学実験などを行っていました。
  • スペースシャトル内で行われた数々の実験により、宇宙ステーション滞在が可能になったのだと言われています。
  • 最近の宇宙ステーション滞在は、2016年に大西卓哉宇宙飛行士が3カ月半以上滞在、そして現在は、2017年12月から金井宣茂宇宙飛行士が長期滞在中。

一般人が、宇宙旅行に行ける日も近いとも言われている今、最初に宇宙飛行したのはどんな人で、日本人では誰なのかという興味が、20才前後の人たちにはないのでしょうか?

プロの宇宙飛行士にならなくても、月への往復旅行や宇宙ステーション滞在などは可能だと言われ、米国では1週間程度の商業的な宇宙ツアーの話が、具体的に進行しています。

心臓外科医で医学博士の肩書以外にも数々の役職に就任

向井千秋さんは、1985年に宇宙飛行士に選出された、3年後の1988年には、慶応義塾大学の医学博士になられました。

慶応大学病院の心臓外科医だった向井千秋さんは、当時入院していた石原裕次郎さんの、担当医師のひとりでした。資料によれば、裕次郎さんは、1981年「動脈乖離」で入院されていました。
連日のように、裕次郎さんの病気に関するニュースが、報道されていた記憶があります。

向井千秋さんを知らない20才くらいの方は、石原裕次郎さんも知らないのかな?入院していた裕次郎さんは、向井さんの白衣がカンフーの胴着に似ていたことから、「カンフー姉ちゃん」と呼んで面白がっていたそうです。

ここまで、向井千秋さんの名前でお話してきましたが、1986年に結婚されるまで、内藤千秋さんでした。ですから、裕次郎さんの担当医師だった頃は、まだ、内藤千秋さんだったのですね。でも複雑になりそうなので、向井千秋さんで通します。

向井千秋さんは、スペースシャトルに2回搭乗された後は、国際宇宙大学(宇宙関連分野で、活躍する人材を育成する、高等教育機関)で、2004年から2007年迄、客員教授を務められていました。

2011年に宇宙航空研究開発機構(JAXA)の特任参与に就任、2015年には東京理科大学の副学長に就任されています。同じ年富士通の社外取締役に就任されています。

2017年には、国連宇宙空間平和利用委員会科学技術小委員会議長に就任されていますが、外務省によりますと、より専門性が高い科学技術小委員会への議長就任は、日本人や女性宇宙飛行士では向井さんが初めてだということです。

向井千秋さんのご主人は慶応大学病院勤務医時代、新聞にコラム掲載

ご主人の名は、向井万起男(むかいまきお)
関係者の方々には、「おかっぱ頭に口ひげのある風貌」で知られているそうです。
おかっぱ頭の所以(ゆえん:わけ)
インタビューの中で質問された時にお話しされていました。

「床屋さんが嫌いなのすよ。床屋さんで頭を触られたり肩を揉まれると、くすぐったくてだめなんです。最後に床屋さんに行ったのは22才頃だと思います。自分でやるとき一番簡単なのがこのヘアスタイル(おかっぱ)なんです」と。

向井万起男氏のお写真を拝見して、ふと思ったのですが、遥かむかしに読んだ、漫画の登場人物に似ているような気がしました。アニメのキャラになりそうな風貌と言ったら、「失礼だろう」なんて怒られてしまうでしょうか。でも、言い換えれば親しみがもてるということです。


向井千秋さんご夫婦は、結婚されてから32年になるそうですが、一緒に過ごされた時間がとても短いのですね。奥様の向井千秋さんは、海外での生活が長く、世界を股にかけて飛び回る忙しい方。ご主人の向井万起男氏も、医学博士と呼ばれる勤務医師、お互いの仕事に合わせて生活していたからだといいます。

向井万起男氏は、慶応大学病院では腫瘍を専門とする医師で、慶應義塾大学医学部の准教授や、慶應気塾大学病理診断部長を歴任されていました。2013年3月末に定年退職されています。

定年退職後は、地方で開業されたそうですが、詳しい情報は現時点では入手していません。ただ、「開業医つれづれ」というブログサイトをお持ちでしたが、現在は終了されています。

万起男氏は、慶應義塾大学の勤務医時代に、朝日新聞夕刊のコラムに「世界一、メジャーリーグに詳しい病理医」を連載されていました。また週刊現代でもコラムを連載されていたそうで、2009年に第25回講談社のエッセイ賞を受賞されているのです。

実は、向井万起男氏は、奥様の向井千秋さんがスペースシャトルに搭乗された時のことについて、「君について行こう 女房は宇宙をめざした」のタイトルで、1995年に講談社から書籍を出版され、現在アマゾンで新装版がでています。その他にも2012年には、「無名の女たち」という書籍も出ているのですが、軽妙なタッチで面白いとの書評がついていました。

千秋さんが「母には太刀打ちできません」と尊敬されるお母様

「かかあ天下と空っ風」といわれるほどの土地柄(群馬県と栃木県の県境)で、10人兄弟の3番目として生まれたお母様。今もなおパワフルに社会とかかわり続け、向井さんがアメリカに滞在している時など、1人で遊びに行かれたそうです。凄いですよね。

お母様は92才(2017年10月時点)だといいますが、バイタリティが凄いですね。臆病者のわたしにはまねができない、羨ましい行動力。本当に羨ましい!

向井千秋さんのおじい様(父方)は、東京浅草で日本刺繡店を営んでおられました。戦時中群馬県館林市に疎開され、刺繍を教えておられた教室?に、千秋さんのお母様が通っていて、おじいさまに大変気に入られたといいます。おおらかで働き者で、底抜けに明るいお母様に「ぜひ、息子の嫁に来てくれ」と請われ、お父様と一緒になられたそうです。

終戦後、おじいさまが帰京された後も、教員だったお父様は帰京せずに、群馬県で教員生活を続けられました。お母様は、おじい様から習った刺繍を仕事にされていたそうです。注文品のハンカチや帯に刺繍を施したりするなど、忙しい毎日を送られていたのです。

お母様が「カバン屋」をされていると聞いていましたが、その店の開店資金に充てられたのは、結婚式のお祝い金だったそうです。お父様もお母様と同じ考えで、お祝い金を開店資金にすることに賛成されたそうです。

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お母様やご家族の人柄もあったのでしょうね、お店「カバン屋」は大繁盛で、移転を繰り返したといいます。そして現在は、千秋さんの弟さんが店を継ぎ、お母様は引退?されたそうですが、店舗の3階に1人で暮らし、92歳の今も元気に、階段を上り下りされているといいます。

千秋さんが尊敬してやまないお母様は、いつも明るく元気で、何事にも動じない方ですが、たった一度度号泣されたことがありました。

スペースシャトルに搭乗した千秋さんが、宇宙に飛び出すカウントダウンが始まったとき、「ロケットを止めてえっ」と絶叫!ワンワン泣かれたとか。

向井千秋さんは「人を大切にする生き方、人生を楽しむ生き方を母から教えられました」と話しておられます。「人はそれぞれ、その人が納得できる生き方ができればいい。でも、納得のいく人生は、仕事を通して見えてくるものだということも、母に教えられました」とも。

母から娘に受け継がれた人生の心得ですよね。意識せずに、ごく自然に受け取った心得。これこそ「親の背中を見て育つ」なのでしょうか。

まとめ

  • アメリカ航空宇 スペースシャトルは4機あり、アメリカ宇宙局(NASA)が、1981年から2011年にかけて135回打ち上げた、有人宇宙船(宇宙輸送システム)。
  • 日本初の女性宇宙飛行士向井千秋さんは、1994年に「コロンビア号」に搭乗。1998年には「ディスカバリー号」に搭乗して2度目の宇宙飛行。
  • 慶応大学病院の心臓外科医だった1988年に医学博士になられています。
  • 2004年~2007年まで国際宇宙大学の客員教授を務められた。
  • 2011年に宇宙航空研究開発機構(JAXA)の特任参与に就任。
  • 2015年には、東京理科大学の副学長および、富士通の社外取締役に就任。
  • 2017年は、国際宇宙空間平和利用委員会科学技術小委員会議長に就任。日本人や宇宙飛行士で議長に就任したのは、向井さんが初めてです。
  • 「人を大切にする生き方、人生を楽しむ生き方を母から教えられました」「人はそれぞれ、その人が納得できる生き方ができればいい。でも、納得のいく人生は、仕事を通して見えてくるものだということも、母に教えられました」と、向井千秋さんは話されています。

向井さんが小学生の時、お父様が選んで下さったランドセルが緑っぽい色だったとかで、向井千秋さんは大嫌いだったらしいのです。

ところがなぜか、小学3年生の頃には、「誰も持っていない物って、宝物だ」と、思えるようになった向井千秋さん。それがきっかけになり、物の見方や考え方が変化してきたのだとか。

「人の目を気にしていては、自分の人生を生き抜けない」と気がついた・・・つまり、心の目が開けたということでしょうか。向井さんは、お父様のおかげだと、感謝されているそうです。

物の見方や考え方はお父様から、お母様からは、「人を大切にする生き方、人生を楽しむ生き方、そして納得のいく人生は、仕事を通して見えてくる」と教えられ、ご両親への感謝が心に刻み込まれています。

「今でも宇宙に行きたい」と話される向井千秋さん。キラキラ輝く瞳の奥には、宇宙から見おろした蒼い地球が映っているのでしょうか。

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