財津一郎 ”非っ常にキビシ~ッ” 覚えてる?自身も通院しながら怪我した奥様 を介護!

あなたは覚えていらっしゃるかしら、財津一郎さんのことを。
若い方は、多分ご存知ない方が多いでしょうね。

でも、「ピアノ売ってチョーダイ!」このCMは、きっとご覧になったことがある筈。わたしは、このCMを目にする度に「ここ何年か見かけてないけど、元気なのかな?」って気になっていました。

財津一郎さんは、60才の時に脳内出血発症で開頭手術されたのですが、下半身に軽い麻痺が残ったためリハビリに励み、3ヶ月後にはテレビドラマで仕事復帰されました。ドラマ「秀吉」では豊臣秀吉の義父といわれる竹阿弥役や、「天花」では主人公の祖父役など。

2010年11月に公開された、映画「ふたたび swing me again」に主演されていますが、この時すでに体調不安があったようです。しかし何度も、塩屋俊監督が説得を続けられ、ようやく出演を決意。翌2011年の3月「3年B組金八先生ファイナル」に出演されて以降、仕事はされていません。

2019年、時代劇専門チャンネルでの『てなもんや三度笠』特別記念番組の出演依頼を受けた時、体調不良で辞退されましたが、後日インタビューで、脳出血など病気もあるし妻も具合が良くないため、仕事は全て断っています・・・と話されていました

現在、85才になられた財津一郎さん。
70才の時に、肺の前がん病変と診断されて「このまま放置すると、後2ヶ月か3ヶ月で肺がんになる」とお医者さまに言われ、左の肺を半分切除したとのこと。退院後は苦しくて大変だったようですが、呼吸法を腹式呼吸に変えたことで生き延びたとも話されていました。

その後も、心臓に水が溜まってしばらく入院されたと言いますが、現在は症状が落ち着いているので、定期的に通院しながら2ヶ月に一度くらい検査をしているそうです。

財津一郎さんの話によりますと、丁度そんな頃だったそうです。奥様が自宅で転倒して手首を骨折されたのは・・・頭をぶつけなかったのが不幸中の幸いだったと話されていますが、それ以降奥様は、転ぶ・・・ことが怖くて出歩かなくなってしまったのだとか。

奥様を何とかして外に連れ出そうとしても、玄関先のわずか2、3段の階段が恐くて、降りることができなくなってしまったらしいのです。年齢を重ねてからの怪我は、恐怖心が大きくなるのでしょうか。奥様は4才年上だと言いますから89才・・・怖くなるかも知れませんね・・・

財津一郎さんは、階段ではなくスロープにしておけばよかったな・・・と思ったそうです。区の職員の方に相談されたところ、もう少しスペースが必要だと言われたそうです。本格的なスロープ工事をやる場合はかなりの金額がかかるため、迷っている・・・と。

財津一郎さんは今、年金とCMの・・・ピアノ売ってチョーダイ!で生活していると話されていますけれど、このCM・・・もう20年以上も続いてるんですよ。凄いですね!

現在は、二所帯住宅で息子さん一家とお住まいらしいのですが、息子さんは出張が多いし、お嫁さんも仕事をされているため多忙なので、体が動くうちは迷惑をかけたくないそうです。財津一郎さんは前向きな考え方をされる方で、ぎりぎり迄自分の力で頑張りたいと話されているようです。

スポンサーリンク

奥さまの骨折で気がついたこと?介護は明るくは感謝の気持ちで!

財津一郎さんは大変な状況の中でありながらも、明るく前向きに生きていらっしゃるので、何故だかほっとしました。老々介護では、辛いニュースが多いですからね。

しかし、ご自身も病気があるので、万全な体調ではない中での介護は本当に大変だと思います。奥様が骨折されてからは、家事の全てを、財津一郎さんが一人で頑張っていらっしゃるそうですが、家事を始めたことで「目に映る全てが家事・・・仕事なんだ」と気がつき、家事は大変な仕事なんだ・・・と。

その中でも一番大変なのが食事の支度で、簡単なものしか作らなくても、二人分の食事の準備をするだけでふらふらになるそうです。今では、寝ていても献立を考えるようになったとか。

ママ・・・奥様をそう呼んでいらっしゃるみたい。「ママが元気になって、また食事を作れるようになればいいなと思いながら、頑張っています」と言う財津一郎さんですが、今は、奥様をお風呂に入れるところまで、一人で頑張っていらっしゃるんですね。

だけど、財津一郎さんご自身も大きな病気をされて、今も定期的に通院されながらの介護ですから、言葉では表現できない程の苦労がおありなのだと思います。介護って、本当に大変で重労働だと言いますから。

財津一郎さんは、こんなことも話されていました。何時までも一人では出来ないから、いつかは介護サービスも頼まなくてはいけないとは思うし、施設に入居することも考えなくてはいけないと思う。だけど「他人が入ってきて、ママをお風呂に入れたりするのが切ない」って・・・

ママが倒れたから介護・・・らしいことをやってはいる。だけど、いつまで一人で頑張れるかわからない。それでも「自分ができる間はやる。それがママへの感謝と恩返し!ママは何十年もやってくれたのだから」と言う財津一郎さん。

「ママは来年は90才になるけど、100才まで生きて欲しい!」という思いを込めて介護をされているのですね。買い物も、重いものも持てなくなっていて大変なご様子。でも、何事も前向きに考えて明るい財津一郎さん。体は思い通りに動かなくても悲観されることはありません。

今の自分にできることを、可能な限りやり通したい・・・そんな強い気持ちが伝わってくるように思います。

財津一郎さんの言葉には、暖かい愛が溢れていますよね。奥様に対する感謝の気持ちと思いやりが。お互いに年を重ねてからの介護でも、このように明るく前向きな言葉を聞くと嬉しくなりますね。

財津一郎さんから、同じような境遇の方々へのメッセージがありました。
皆さんに是非お伝えしたいことは
老々介護で大切なことは『絶対に暗くなってはいけない!』と言うこと。これはとても大事なことですよ!」。

そして、注意を促したいこととして、「フローリングなどでは滑りますからね気をつけて下さい。スリッパは履かない方がいいと思いますよ」と。奥様もスリッパを履いていて滑って転倒されたので、くれぐれも気をつけて欲しいとおっしゃってます。

介護疲れや精神的なキツさ、そして金銭的な不安などから自殺する方もいれば、殺人まで起きていますよね。ニュースで見たり、週刊誌を読んだりすると「身につまされる・・・」と話されていました。

俳優 財津一郎が歩んだ道!吉本新喜劇に参加し座長にも!

財津一郎(ざいつ いちろう)。
本名  :財津 永栄(ざいつ ながひで)。
生年月日:1934年2月22日。
出身地 :熊本県熊本市。
出身校 :熊本県立済々黌高等学校。

財津家は、神武天皇の時代から続く名家だそうです。
お父様は、農林省(農林水産省)の役人で東京に住んでいたそうですが、出征されたので熊本に疎開され、何度か移住されたようですけれど、財津一郎さんは高校を卒業するまで熊本で過ごしました。

高校卒業後に上京して、早稲田大学文学部を目指した財津一郎さんですが、受験に失敗したためアルバイトをしながら、当時東京都大田区にあった、榎本健一映画演劇研究所で演技の勉強開始。

榎本健一さんは、浅草を拠点にして活躍されていた大喜劇王。俳優、歌手、コメディアンとして民衆を沸かせ「エノケン」の愛称で全国に知られた人気者。「日本の喜劇王」と呼ばれたた方で1970年に亡くなられています。

晩年、NHK放送文化賞を受賞された時にインタビューされた榎本健一さんは、テレビの生放送に関する大変さ、時代の流れで「笑い」が変わっていった・・・と話されていました。

榎本健一演劇研究所を卒業した財津一郎さんは、ある時偶然、憧れていた仲代達也さんに出会ったことで、頑張ろうと心に決めたそうですす。

1995年に石井均一座に入門。この時、楽屋の化粧室前でばったり会ったのが伊東四朗さんだったと言います。更に、現在の奥様とも、この一座で出会っているんですよ。

その後、新宿の劇団「ムーラン」の舞台にも立ちましたが数年後解散の憂き目にあいました。そして宝塚新芸座からOSミュージックホールへと渡り歩き1962年に吉本興業に入り、1964年に吉本新喜劇に参加。

芸名を財津肇メから財津一郎に改めましたが、芸名を考えてくれたのが、吉本興業社の当時の社長だったそうです。新喜劇に参加した翌年の1965年に、財津一郎さんは吉本新喜劇座長に就任しています。

吉本新喜劇座長に就任した人は、
財津一郎、白木みのる、岡八郎、花紀京。

1989年10月からは、今田耕司、ほんこん、東野幸治が座長となった。
現在は内場勝則、辻本茂雄、小籔千豊、川畑の4人体制になっているそうです。

藤田まことのてなもんや三度笠”キビシ~ッ”で財津一郎レギュラーに!

新喜劇に参戦した当初は、サラリーマン役が多かった財津一郎さんですが、段々と「老け役」が多くなったそうです。そんな中、藤田まことさんが主演の『てなもんや三度笠』に、浪人の蛇口一角(へびぐち いっかく)役で出演。

最高視聴率64.8%を誇った「てなもんや三度笠」のことがわかるアドレス ⇒ https://is.gd/VBooxh

藤田まことさんが人気者になったのは「てなもんや三度笠」ですけれど、歌も歌い司会もこなしています。また、テレビでは多くの人気シリーズの主人公を演じました。「はぐれ刑事純情派」、「剣客商売」、「必殺仕事人」など、超人気を誇ったシリーズばかり。

「てなもんや三度笠」は大阪の朝日放送制作の公開コメディ番組。
1962年5月6日・・・日曜の夜6時から「てなもんや三度笠」がスタート。

当時はまだ若手で売り出し中だった横山やすしさんと西川きよしさんも、「てなもんや三度笠」の番組終了までの1クールにレギュラー出演していました。

南利明さん、京唄子と鳳啓助さんの漫才コンビが準レギュラーをつとめ、毎週代わるゲストには、榎本健一さんやコント55号(萩本欽一と坂上二郎)さんなど、東西の人気コメディアンたちが出演していたのですね。

また、島倉千代子さん、橋幸夫さん、都はるみさん、ザ・ピーナッツ、中尾ミエさん山本リンダさんなど、当時のスター歌手たちも続々登場して番組を盛りあげていました。

人の運勢なんて、どこで好転するかわからない!「てなもんや三度笠」の出演がなければ、財津一郎さんの名前はここまで知られていたかどうかわかりません。

財津一郎さんは「てなもんや三度笠」で蛇口一角役を演じる時、手を頭の後ろから回して反対側の耳をつかんで甲高い声で「非っ常にキビシ〜ッ!」とか「〜してチョウダィ!」と叫びます。このギャグが話題を呼び、超人気者になったのですから。さらに、抜いた刀の刃を蛇のようになめまわす、奇怪な動きが一世を風靡(ふうび)するほ評判になったのです。

この台詞は、当初ギャグで言ったものではなかったそうですが、演技中に突発的に奇声を発すると場内が「わあっ!」と湧いたことから発想し、ギャグに発展したのだとか。

途中で、蛇口一角役から写真師の桜富士夫役に変更になり、レギュラー陣の一角を担いましたけれど、当初はレギュラー出演の予定ではなかったらしいのです。ところが、奇人変人ぶりがあまりにも好評で大人気になったため、レギュラーとなり最終回までの出演になったと言います。

まとめ

財津一郎さんの「非っ常にキビシ〜ッ!」とか「〜してチョウダィ!」のギャグが超人気となり、CMのタケモトピアノに出てから20年以上・・・今もテレビで見てますよ。

今は85才になられ、ご自身も大きな病気を患い手術もされるなどで、体調も思わしくない中、怪我をされた奥様の介護を始め、家事全てをお一人で頑張っていらっしゃいます。

奥様の介護をされている財津一郎さんが、同じ境遇・・・老々介護をされている方々に伝えたいこと。
「皆さんに是非お伝えしたいことは、老々介護で大切なことは『絶対に暗くなってはいけない!』と言うこと。これはとても大事なことですよ!」でした。

そしてもう一つ、注意を促したいこととして、「フローリングなどでは滑りますからね気をつけて下さい。スリッパは履かない方がいいと思いますよ」と。奥様もスリッパを履いていて滑って転倒されたので、くれぐれも気をつけて欲しいとおっしゃってます。

介護疲れや精神的なキツさ、そして金銭的な不安などから自殺する方もいれば、殺人まで起きていますよね。ニュースで見たり、週刊誌を読んだりすると「身につまされる・・・」と話されている財津一郎さん。

介護をされた方でないと、どんなふうに大変なのかはわからないと思います。でも、重労働で本当に大変だろうな・・・と言うことはわかります。

年を重ねての老々介護は、ことさらに厳しく大変な筈・・・それでも前向きに明るく頑張っていらっしゃる財津一郎さん。「自分ができる間はやる。それがママへの感謝と恩返し!ママは何十年もやってくれたのだから」とおっしゃってます。

大切な奥様と一日でも長く暮らせますよう、願っています。

スポンサーリンク

おすすめの記事