あなたはご存知だったでしょうか・・・「小保方晴子さんの研究が正しかった」と、証明されていたことを。

日本では発表されていませんが、2015年11月に、小保方晴子さんの研究が正しかったと、英国科学雑誌「ネイチャー」の姉妹版「ネイチャー・サイエンティフック・リポーツ」に掲載されていたのです。

アメリカの研究者グループによって「STAP現象」が発見されて、報告されていました。驚きです! 「小保方晴子さんの研究が正しかった」ことについての詳細が、4ページにわたり記載されています。アドレスをクリックして下されば、詳細画面に移動します ⇒ https://is.gd/G5Lbba

それは、米テキサス大学医学部ヒューストン校のキンガ・ヴォイニッツ博士らが、負傷したマウスの骨格筋から幹細胞になる新規の細胞集団を発見したと論文で発表したものだと言うことです。

いろいろ検索を重ねていると、このことを、ご存知の方も何人かいらっしゃいましたが、ほんの一握りに過ぎず、多くの人は何も知らない・・・のだと思いました。

研究者の難しい研究や実験について、専門用語で説明されても、ド素人のわたしにわかるはずもありません。ですが、小保方晴子さんが見つけたのと同じ方法でSTAP現象が確認されて、「研究は正しかったことが証明された」のだと言うことはわかります。

小保方晴子さんは「捏造」したと言われ、嘘つき呼ばわりされていました。でも、「研究は正しかった、捏造ではなかった」と証明されたのですよね。それなのに誰も、その(証明された)ことについて触れていませんよね。それは何故?

その謎を解く「鍵」になるような記事を見つけたので、転載させていただきました。下記の記事内容は右記アドレスより引用したものです。⇒ https://is.gd/le4uB7 

STAP細胞は存在する。なぜなら理研は昨年10月にSTAPで国際特許出願している(画像)。何の検証もせず、存在しないものを国際特許出願するわけがない。小保方さんはもちろん、笹井・若山・バーカンティ氏などがずらりと発明者に名を連ねている(下記特許出願文書PDF)。ただしこの出願に関する国際調査報告では、下記東北大学の「ミューズ細胞」の出願と比較し新規性はないというようなコメントが出されている>STAPは応用特許の範疇に入る? であるからして、理研がいまさら小保方氏に「追加資料を提出せよ」などと言っていること自体がおかしいのだ。この特許出願の事実についてテレビ新聞一切触れていない。よって、小保方さんをスケープゴートにしようという企みがあることは明白。

スケープゴート(英: scapegoat)とは、「身代わり」「生贄(いけにえ)」などの意味合いを持つ聖書由来の用語。「贖罪(しょくざい)の山羊」等と訳される。
悲しいですね、これが本当なら・・・

わたしたちが知らない水面下で、いろいろ物事が動いているのですね。それにしても、「STAP細胞はない」などと騒がれて、小保方晴子さんは辞職に追い込まれたのに、「国際特許出願」していると言うことは、この時、STAP細胞は存在していた・・・のですね。

https://is.gd/le4uB7 左記アドレスに記載された記事によれば、理研が「国際特許出願」したのは2014年だそうです。

英国科学雑誌「ネイチャー」の姉妹版「ネイチャー・サイエンティフック・リポーツ」に、小保方晴子さんと同じ方法でSTAP現象を確認した、との記事が掲載されたのは2015年11月でしたから、それ以前に「国際特許出願」しているので、あの騒動の時、STAP細胞は確認されていたのでしょうか。

2016年春ごろ、小保方晴子さんの書籍「あの日」が出版されましたが、天台宗の尼僧で小説家 瀬戸内寂聴さんは、「あの日」を3度も読まれたそうです。そして小保方晴子さんとの対談を希望されていました。

「あなたの本を読まなければ、真実を知り得なかったと、ぞっとしました」。小保方さんと対談した瀬戸内寂聴さんは、そう、語りかけました。「報道されたことを信じてしまって、一連の騒動は小保方さんが企てたことだと思っていた」と。

殆どの方が瀬戸内寂聴さんと同じように、報道を信じていたのですよね、何も真実を知らないままに・・・今も尚、多くの方々は、小保方さんのことを「捏造」して「刑事告訴」された人だと思いこんでいるのです。

小保方晴子さんは「捏造」もしていないし、「刑事告訴」も受理されず取り下げられているので、何も悪いことはしていなかったのに・・・

「あの日」に記載されていた衝撃の事実・・・そこには、用意周到に準備された、目には見えない囲いの中に追い込まれ、がんじがらめにされてしまった小保方晴子さんの姿がありました。道はすっかり閉ざされていて、逃げる場所すらありませんでした。

外堀ではなく、内堀から埋めてしまわれた小保方晴子さんは、衝撃のあまり思考力を失い、尋問に近い質問に、機械的に受け答えするロボットのような状態だったようです。

ハーバードを始め、あちこちの研究室から引くてあまただった、前途有望な小保方晴子さんの人生は、「あの日」を境に、奈落の底に沈んでしまいました。

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小保方晴子さん「あの日」を読んだ瀬戸内寂聴さんと対談!

2018年3月には「小保方晴子日記」が出版されたので、こちらも購入して読みましたけれど、涙が止まりませんでした。小保方晴子さんは「気が狂う」一歩手前で、何とか踏みとどまっていたのです・・・ね。

事実確認がなされないまま、間違った内容を報道されたことに憤慨しても、小保方晴子さんにできることは、何一つありませんでした。それどころか、ひっそりと、物陰に隠れるように暮らしていかなければならなかった小保方晴子さん。

「あの日」を読んだ瀬戸内寂聴さんが、婦人公論に連載中の『わくわく日より』に、小保方晴子さんに向けた「あなたへの手紙」を掲載された上で、小保方晴子さんと対談したいと希望されていました。

小保方晴子さんと対談した瀬戸内寂聴さんは「あなたを応援する人も世の中にはいることを知らせたかった。婦人公論に連載中の『わくわく日より』に掲載した『あなたへの手紙』を読んでくれたのね」と、小保方晴子さんに語りかけました。

瀬月内寂聴さん

「固形物が食べられなくて体は弱る一方でしたが、先生にお会いするために、食べなくちゃいけないと思うようになって、眠らなきゃいけない、生きないといけないわと・・・」瀬戸内寂聴さんに会うという目的ができて、頑張れたと話す小保方晴子さん。

画像元アドレス ⇒ https://is.gd/vv563i

「先生からお手紙を頂いてわかったことは、過去の辛い出来事を忘れることはないのだと言うことです。わたしは忘れようとしていたのです。記憶をどこかに捨ててしまいたいと。でも、この記憶と共に生きていくのですね」

小保方晴子さんの、問いかけるような言葉に瀬戸内寂聴さんは、
「負けたらだめなのよ、上を向いて行きなさい。手毬を落としたら跳ね返ります。どん底まで落ちたら跳ね返るしかないのです」と。

「今がどん底だと言われ続けてきました。これ以上落ちることはないと。2年間ずっと」そう語る小保方晴子さんのどん底は2年間も続き、いまだに終わりが見えていないようにも感じます。

でも、瀬戸内寂聴さんは小保方晴子さんに伝えました。
「あなたは必ず蘇る。世の中の先頭に立つ日が必ずきます」。
「わたしの携帯電話やメールアドレスも教えるから、あなたのも教えてね」。

この日から瀬戸内寂聴さんと小保方晴子さんは、電話で話すようになり、迷ったり困ったことがあれば指導を仰いでいるようです。でもこれは、小保方晴子さんにとって何よりの力強い味方・・・心のよりどころと言えそうです。

「あの日」から見えたのは 小保方晴子さんに次々おこる理不尽なこと!

小保方晴子さんは、謂(いわ)れのない嫌疑を受けていました。小保方晴子さんを被疑者として提出された告発状がありましたが、警察に受理されず取り下げられました。

しかし、告発状が提出された時には大きく報道されたのに、受理されず取り下げたと言う情報は、どこも報道していません。だから小保方晴子さんは、何時まで経っても「刑事告訴された人」だと思わ続けているのです。

また一方で投稿料の60万円について、理研から論文の支払い請求がおこされていました。論文掲載は小保方晴子さんが決めたものではなく、他に責任者がいたのです。

払う必要がないものなので拒否しようとしたら、「支払わなかったと公表します」と言われ、自分に責任のない投稿料を、悔しさを噛みしめながら支払ったと、「小保方晴子日記」に記載されていました。

また、白熱する報道の流れを受けて「博士号」までも剥奪されました。「論文」に問題があった学生は大勢いました。小保方晴子さんよりも広範囲の修正が必要な学生もいたのに、「訂正した]と言う書類に判を押すだけでOKになっていたと言うのです。

「小保方晴子日記」の中に、その時の模様が以下のように記載されていました。

他の学生が修正してハンコを押すだけで済む中、私に対してだけ調査委員会が設置され、私にだけ厳しい再審査が課せられた。博士論文の再審査で、世界最高峰の学術誌である「Nature」に論文を掲載した時よりも、厳しい審査にかけられたのだ。全ての過程が異常だった。

大学側とのやり取りには初めから絶望しかなかった。続けるほどにさらなる仕打ちをされ、毎回毎回自分でも驚くほど、傷付いた。予想された結果。だからやめる選択肢だってあったのに、繰り返し傷付く道を選んだのはなぜだろう。

ああ、そうか。私は期待していたんだ。母校の先生たちが、理不尽さに気が付いてくれるのを。最後まで私は心のどこかで先生たちを信じていたんだ。

そしてただ一人小保方さんだけが「博士号」を剥奪されてしまったそうです。

何もかも、全てが悪い流れに飲み込まれて行く、こんな状況におかれたら、誰でも頭がおかしくなってしまうでしょうね。わたしだったら、とっくに気が狂っているかも知れない。

小保方晴子さんも瀬月内寂聴さんとの対談で「(頭が)充分、変になりました」と語っていました。

24時間監視付きの検証実験!2015年元旦から逃亡者のような生活!

書籍「あの日」は、殆んどが研究に基づいた内容なので、研究内容は理解できませんけれど、周囲の状況や、研究者同士の複雑な上下関係、いろいろ仕組まれたことがあるらしい・・・と言うのは、何となくわかります。

やはり上位にいる研究者は、自分の都合がいいように物事を進め、下位の立場では、従うことしかできないのでしょう。理不尽な出来事が起きても、誰も、何も言えない状態が当たり前の世界。会社でも同じことがありますよね。

「あの日」を読んで感じたことは、あの騒動以来小保方晴子さんには、どこにも、身の置き場所がないような状態だったように思われます。

見えない紐でがんじがらめにされ、自分自身の意志で発言したり行動出来ない中で、心がどんどんむしばまれていくのを感じ乍らも、自分にできる限りのことをしなくてはいけないと考えていました。

騒動がおきて、誰にも迷惑をかけたくないからと、辞表を出すつもりだった小保方晴子さんですが、「辞められたら困る」「辞めた方がいい」と言う二つの意見があり、あちらを立てれば、こちらが立たずで、辞める自由さえなくしていました。

STAP現象の検証実験の時も、小保方晴子さんが観察していた現象を超えて、準備されていたのは、「W」先生が作ったマウスに限定されていたと言います。小保方晴子さんが使っていた、実験に必要としていたものは、全て使えないようにされていた・・・らしいのです。

検証実験は、記者会見で発表された内容よりも、ずっと厳しい条件が課されていたそうです。

監視カメラや立会人に24時間監視され続け、手を動かすことも、物を持ち変えることも出来ない状態。しかも、実験室に入る時など、たとえ一歩でも先に入ることは許されず・・・『理研の上層部は世間に扇動されてしまっている』と、小保方晴子さんは感じていたようでした。

通勤する時はポケットのない洋服に限定され、一度、理研に入れば、立会人からエプロンをかぶせられ、脱ぐことは許されなかったそうです。さらに、理研の廊下を一人で歩くことも許されなかったと言うのです。これって、まるで、拘束されているのと同じ状態ですよね・・・

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この検証実験が行われる以前から、小保方晴子さんは、リークに反論することはもちろん、情報発信することも禁じられ、信頼していた筈の上司から「我慢しろ、我慢するんだ」と言われ続け、みぞおちに痛みを感じるようになり、息苦しさが日を追うごとに激しくなっていきました。

理研に入れば、身体を動かすことさえ制限されると言う苦痛が、精神的負担となり、腰掛けても、体を支えることさえ出来なくなっていました。小保方晴子さんは肉体的な痛みだけではなく、思考力や記憶力もどんどん失われていくのを感じていたそうです。

「小保方晴子日記」は、理研を辞めてから毎日書き留めていたもので、その日、その時の心の動きや体の状態、そして小保方晴子さんの周囲で起きた事柄が、詳しくわかる内容でした。

小保方晴子さんが辞職届を提出したのは12月15日。自宅前には毎日マスコミが張り込み、電気をつけるとすぐに、インターホンが鳴らされ、止まることなく鳴り続けるので、インターホンが怖くて電気をつけられなかったと言います。

2014年大晦日の夜10時頃に部屋を抜け出し、ぽんちゃん(亀)を連れて車に乗った小保方晴子さん。気まぐれ先生?から「世間が落ち着くまで、しばらくどこかへ行け」と言われていたのです。自宅を出た途端、呼吸の仕方がわからないと思うほど極限の緊張状態におちいりました。

2015年元旦の夜は車の中から予約した宿にとまりましたが、一カ所にとどまっていると、記者にかぎつけられる心配があるので、宿を何カ所か移動しながら、まるで逃亡者のように息をひそめ、人の気配や物音に怯えながらの17日間を過ごしました。

場所は書かれていませんが、どうやら雪深いところを旅されていたようです。

気が狂う一歩手前で精神科に入院!心が壊れ 文字を忘れてしまった!

この記事は、「あの日」や「小保方晴子日記」に記載された記事を基にして、感じたことを書いています。でも、複雑に入り組んだ研究者の組織関係などは、到底わかりません。そしてまた、あまりにも内容が深すぎて、感じたことの半分も表現できていないように思います。

ただ言えるのは、小保方晴子さんが「あの日」から辿られた道は、あまりにも「悲惨」過ぎます。自分の身に置き換えて考えてみました・・・耐えられず、気が狂っていたかも知れません。

あの騒動以来、小保方晴子さんには、自由に外出して買い物をすることもできなくなっていました。

時々、気まぐれ先生や親友さんがやってきて外へ連れ出してくれたり、親友さん以外にも、小保方晴子さんを信じ心配してくれる方が何人かいて、その方たちの手助けがあって、何とか日ごろの暮らしがなりたっている状態でした。

小保方晴子さんは、あの騒動から1年近く過ぎているのに、戦い続けていました。理不尽なことに対して、「小保方晴子日記」の中で、このように表現されています。

『漫画などで見る、怒った人の額に血管が浮き出ている絵は、誇張だと思っていたけれど、今は連日、人生で初めての血管が切れそうな感情を経験している。腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ。ハラガタツ』

『頭も心も全てこの五文字に占められている。耳から入る音の全て、目に見えるものすべて、張り詰めた神経の弦を爪ではじかれるような感覚を覚える。ここまでの怒りが初めてのせいか、自分が怒っている対象が消しようのないもののせいか、この怒りの攻め方がわからない』・・・と。

小保方晴子さんは、イライラが募り悲惨なことを口走るなど危険な精神状態になり、体重もどんどん減り続けていました。寝てもおきても身体がだるく、友人に付き添われ病院へ行くと、痩せすぎているので点滴が必要と判断され入院しました。

精神科の病室は、鉄格子のはまった数センチしか開かない窓のあるコンクリートの部屋。去年入院した時と同じ部屋だったようです。手首にリストバンドを巻かれて、荷物をチェックされて少しでも鋭利なものは全て没収されます。これも去年と同じでした。

小保方晴子さんは、気が狂う一歩手前の状態にいた・・・のですね。去年の騒動の時もそうでした。極限の精神状態まで追い詰められていて、一つ間違えば手首でも切りそうな、切羽詰まった状態?!

このように最悪な精神状態の小保方晴子さんに、これでもか、これでもかと理不尽なことが、次々と襲い掛かるのです。一度でも悪い噂がたてば、信頼していた人でさえ手のひらを返し、とことん攻め続けてくることの不思議さ・・・

それがどれだけ辛いことなのか、その立場に立たなければわからないのが、悲しいところ。
小保方晴子さんは、わたしたちが知らないところで、ひたすら戦っていたのですね。いつ気が狂ってもおかしくない程の極限の精神状態で・・・

あなたは、いつも何気なく読んでいる文字が読めなくなってしまった・・・そんな経験をされたことがあるでしょうか?

小保方晴子さんは、精神科に入院しても尚、次々襲い掛かる理不尽なことに、心が壊れる寸前まで追い詰められて、一時的に文字を忘れてしまったのです・・・

携帯が鳴りメールが届く。メールを開いたけれど、そこに書かれた文字が読めない・・・文字がわからない・・・この時の衝撃がどれほどのものだったのか、想像もつきません。

小保方晴子さんを救った手記出版!過去の栄光!

このような小保方晴子さんを救ってくれたのは、講談社から手記「あの日」が出版されることになったこと。「小保方晴子日記」の中に、手記を書いているときの気持ちを、こんな風に記述されています。

「今はこの手記を書くためにだけ生きている。原稿が進まなければ、今日生きた意味がないとさえ思える。だから今日も一日中書いた。気がつくと何時間も経ってしまっている。本の執筆の終わりはどうやって決めるのだろう。終わりが来るのが少し怖い」・・・と。

辛くて苦しいことばかりが続いた中で、「書く」と言う目的ができたことで、小保方晴子さんは一筋の光明を見いだすことが出来たのかなと思います。

担当者との打ち合わせや、構成や内容を決める打ち合わせなど、体は疲れて大変かも知れないけれど、忙しく飛び回ることで、厭なことを考える時間が減少しているかも知れない。

下記画像は右記アドレスより引用 ⇒ https://is.gd/vv563i

そして発売された「あの日」は、たちまちベストセラーになり、重版に次ぐ重版となるなど、凄い勢いで売れていたのです。しかし、多くの週刊誌にゴシップが掲載され、テレビでもそれを取り上げて放送していることを聞き、疲れ果てて寝てばかりいたそうです。

あの騒動が起きるまでの小保方晴子さんは、ハーバード大学に留学して生き生きと輝いていました。

留学期間も半年の予定でしたが、ハーバード大で研究した成果をプレゼンした時「過去15年で最高のプレゼンだった」と称賛され、「留学期間を延長できるようにレターを出す」と言われた。さらにハーバード大研究室の責任者が、「これから先の留学にかかる生活費、渡航費は僕が援助する」と全員の前で明言。

ハーバード大学には、いくつもの研究室があり、他の研究室からも「留学が終わったら、次はうちで留学しませんか」と声をかけられた。断りを入れた後も「推薦状が必要な時は何時でも書くよ」と。その他にも「次にボストンに来るときはうちのラボにきてもいいよ」と声をかけられりしていました。

ハーバード大学の研究室には、世界各国からの留学生が多く、伸び伸びした雰囲気で楽しかったそうですが、小保方晴子さんは、日本での研究を選択したことが裏目にでてしまったのかも知れませんね。

瀬月内寂聴さんは小保方晴子さんと対談した時、「ハーバード大学に留学している時が、一番幸せそうだったわね」とおっしゃってました。

まとめ

「小保方晴子さんの研究が正しかった」と、証明されていたことをあなたはご存知だったでしょうか・・・。

日本では発表されていませんが、小保方晴子さんの研究が正しかったと、2015年11月に、英国科学雑誌「ネイチャー」の姉妹版「ネイチャー・サイエンティフック・リポーツ」に掲載されていました。

アメリカの研究者グループによって「STAP現象」が発見されて、報告されていました。

驚きですよね! 「小保方晴子さんの研究が正しかった」ことについての詳細が、4ページにわたり記載されています。アドレスをクリックして下されば、詳細画面に移動します ⇒ https://is.gd/G5Lbba

それは、米テキサス大学医学部ヒューストン校のキンガ・ヴォイニッツ博士らが、負傷したマウスの骨格筋から幹細胞になる新規の細胞集団を発見したと論文で発表したもの。

研究者の難しい研究や実験について、専門用語で説明されても、わかるはずもありません。ですが、小保方晴子さんが見つけたのと同じ方法でSTAP現象が確認されて、「研究は正しかったことが証明された」のだと言うことはわかります。

小保方晴子さんは「捏造」したと言われ、嘘つき呼ばわりされていました。でも、「研究は正しかった、捏造ではなかった」と証明されたのですよね。それなのに誰も、その(証明された)ことについて触れていないのは何故なのでしょうか?

その謎を解く「鍵」になるのではないかと、思われる記事を見つけたました。下記のアドレスをクリックして下さればご覧になれます ⇒ https://is.gd/le4uB7 

小保方晴子さんは、イライラが募り悲惨なことを口走るなど危険な精神状態になり、体重もどんどん減り続けていました。寝てもおきても身体がだるく、友人に付き添われ病院へ行くと、痩せすぎているので点滴が必要と判断され入院しました。

精神科の病室は、鉄格子のはまった数センチしか開かない窓のあるコンクリートの部屋。あの騒動の後で入院した時と同じ部屋に、またしても入院。手首にリストバンドを巻かれて、荷物をチェックされ、自殺を防ぐために、鋭利なものは全て没収されます。これも去年と同じでした。

小保方晴子さんは、気が狂う一歩手前の状態にいました・・・去年の騒動の時もそうでした。極限の精神状態まで追い詰められていて、一つ間違えば手首でも切りそうな、切羽詰まった状態?!

このように最悪な精神状態の小保方晴子さんに、これでもか、これでもかと理不尽なことが、次々と襲いかかり、味方だと信頼していた人でさえ手のひらを返し、とことん攻め続けてくるのです。

このような小保方さんを救ってくれたのは、講談社から手記「あの日」が出版されることになったこと。「小保方日記」の中に、手記を書いているときの気持ちを、こんな風に記述されています。

「今はこの手記を書くためにだけ生きている。原稿が進まなければ、今日生きた意味がないとさえ思える。だから今日も一日中書いた。気がつくと何時間も経ってしまっている。本の執筆の終わりはどうやって決めるのだろう。終わりが来るのが少し怖い」・・・と。

瀬月内寂聴さんがおっしゃってました。「あなたは文才がある。お書きなさい」と。もう、研究者に戻ることはできないかも知れない・・・でも、新たに見つけた才能を伸ばして、研究者として過ごした時の出来事を、もっと気軽に書けるようになればいいなと思います。

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