テレビで、PGAゴルフツアーの解説を担当されている佐渡充高さん。
どんな方なのか、とても興味がありました。どんな方なのか知りたいって思っていました。もちろんお顔は存じ上げています、10年も解説していらっしゃいますから。

ゴルフが好きなあなたは、とっくにご存知かもしれませんね。でも、時々「佐渡充高さんのことを詳しく教えて」というお問い合わせ?を見かけることがあるのです。

「選手名鑑240・番外編・最終回」を見つけたのは、今から1年くらい前のことです。すでに6年間もの間、GDO(ゴルフダイジェスト・オンライン)で、240回にわたり連載記事を書いていらっしゃいました。

わたしが見つけたのは連載最後となる記事で、佐渡充高さんご本人の半生がつづられていました。

スポンサーリンク

佐渡充高さんは大学生時代に、米国PGAゴルフツアーで「新帝王」と呼ばれていた、トム・ワトソンの来日時にはキャディを務められ、より深くゴルフに惹きつけられていきます。

その後米国PGAツアーでトム・ワトソンと再会、ハワイアンオープンを観戦した時の興奮と衝撃、感動を忘れることができず渡米、ゴルフ記者生活の後、プロゴルファーとして2シーズン、米国PGAゴルフの下部ツアー選手生活も経験されています。

連載最後に語られた佐渡充高さんの半生。佐渡充高さんがゴルフに関わってこられた道筋を、辿ってみたいと思います。秘密の扉を開けるような感覚があって、ちょっとドキドキしながら・・・

佐渡充高さん「選手名鑑」連載とPGAゴルフツアーの解説

米国PGAツアーの年間試合数は、日本(2018年25試合)の2倍もあるのです。
https://is.gd/5fPPqO 左記アドレスで確認して下さい。米国PGAツアー2017-2018シーズンの開催スケジュールがわかります。
マスターズなどのメジャー大会4試合、ライダーカップを含むと50試合もあります。

年間50試合もあるPGAゴルフツアーそれぞれのコースについて、各ホールの状況や、参戦しているプロゴルファーの情報を、とても詳細に把握していらっしゃる佐渡充高さんのことが、不思議でなりませんでした。

PGAゴルフツアーの解説をされる佐渡充高さんは、話し方も柔らかく、わかりやすい説明をして下さるのですが、一体どんな方なの?って、いつも思っていたのです。

佐渡充高さんはお坊ちゃまだった?
  • 佐渡充高さんの曽祖父は、米国初の日本語新聞発行にたずさわられた新聞記者でした。
  • お父様は出版社の編集者です。
  • 大叔父さんは、ロサンゼルスを巡るフリーウェイ設計者の一人だった。
  • 佐渡充高さんのご親族の多くが米国在住だったため、 佐渡充高さんは、少年時代から度々米国を訪れていた。
  • だから、ネイティブな英語が自然と身についていたのでしょうか。

佐渡充高さんの、「選手名鑑240・番外編 最終回」に綴られた半生記を読ませていただき、「どんな方なのか知りたい!」と思っていた願いが叶いました。米PGAゴルフツアーの解説者になられて10年ですが、佐渡充高さんがどのような道を辿り、ゴルフに関わってこられたのか・・・一緒にみていきましょう。

でも不思議なんですよね、GDO(ゴルフダイジェスト・オンライン)の記事を、よく読んでいたのにもかかわらず、佐渡充高さんの情報があったことに気がつかなかったなんて。いつも情報をさがしまくっていたのに・・・トホホ・・・です。

いったいわたしは何処をみていたのかしら??まぬけですね。

佐渡充高さん「選手名鑑」の源は、トム・ワトソンと米国PGAゴルフツアーだった!

アドレスをクリックすると詳しいプロフィールが出ています。
佐渡充高 ⇒ https://is.gd/pEyKOv

米PGAツアーのこと、何故あんなに詳しいの?って、ずっと謎でしたが、「選手名鑑・番外編・最終回」に辿り着き、米国PGAツアーについて精通されていることがわかり、詳しいわけだと納得しました。

佐渡充高さんの大学時代
ギル・モーガンのキャディを2年間務められて、優勝の感激を味わったのが上智大学ゴルフ部1年生の時、2年生の時は5位だったとか。

  • 来日したギル・モーガンの、日本ツアーでの詳しい情報は見つかりませんでしたが、1978年の太平洋マスターズ優勝者として、名前が記載されていました。
  • ギル・モーガンは、ドクターモーガンとの愛称で呼ばれる、検眼士の資格を持つ眼科医でもあるのです 。
  • 「新帝王」と呼ばれたトム・ワトソンの来日時にも、上智大学ゴルフ部だった佐渡充高さんは英語が話せたので、キャディに起用されました。大学3、4年生の時です。
  • 佐渡充高さん がトム・ワトソンに再会したのは「ハワイアン・オープン」。 佐渡充高さんは、体がふるえるほどの、興奮と衝撃を受けたそうです。

佐渡充高さんは、トム・ワトソンのキャディを務めたことで、米PGAツアーへの興味が膨らみ、ハワイアンオープンを観戦したことで、米PGAツアーへの熱い思いがどんどん強くなっていくのです。

米国PGAゴルツアーのギル・モーガンとの出会い!佐渡充高さんの人生を変えた?

佐渡充高さんは、高校進学時にお父さまからゴルフを勧められ、次第に夢中になって、のめり込んでしまわれたようです。

佐渡さんの人生を大きく変えた出来事は、大学時代にギル・モーガンのキャディを2年間務められ、優勝の感激を味わったことだったとおっしゃっています。

佐渡さんは、少年時代から度々米国を訪れていらっしゃるので、ネイティブな英語にふれて、自然に語学が身についていたのでしょうね。上智大学時代はゴルフ部でしたし、英語が話せたことから、ギル・モーガンのキャディに選ばれたようです。

佐渡充高さんが、ギル・モーガンのキャディを2年間務められた時、優勝したとの話があったので、日本ツアーでのギル・モーガンの情報をさがし、やっと見つけました。

下記アドレスをクリックして下さい。三井住友太平洋マスターズ、第6回|1977年 ~ 第10回|1981年のところで見ると、第7回(1978年)優勝者にギル・モーガンの名前がありますから。
http://msvt-masters.jp/history.html

ギル・モーガンは、ドクターモーガンとの愛称で呼ばれ、検眼士の資格を持つ眼科医でもあるのです。

ギル・モーガンは、15才でゴルフを始め、米PGAツアーで7勝、米国のシニアツアーでも、多くの優勝を重ねています。1979年、1983年、ライダーカップのメンバーとしてもプレーしています。

下記のアドレスをクリックすると、ギル・モーガンが米PGAツアーで7勝した、キャリアの概要がわかります。 https://is.gd/mWfHc5

ただ「選手名鑑240」に、ギル・モーガンの名前はありませんでした。

佐渡充高さんは興奮と衝撃で震えた!トム・ワトソンと再会した米国PGAツアー・ハワイアンオープン!

「新帝王」と呼ばれたトム・ワトソンが来日した時、英語が話せる佐渡充高さんがキャディに起用されました(下記アドレスをクリックして下さい。トム・ワトソンのウィキペディアに移動します)。 https://is.gd/qwbpCT
その頃のトム・ワトソンは、世界の頂点に君臨していたプロゴルファーでした。

  • 佐渡充高さんが大学3年生の時と4年生の時、太平洋マスターズの招待選手として来日されたトム・ワトソンのキャディをされています。
  • その時「春には卒業なので来年は社会人です」と、トム・ワトソンに話をしたところ、「ハワイアンオープンを観にきたらどうだ」、と1,000$の小切手を下さったのだそうです。

ちなみに当時の1$は¥280くらいだったそうですが、大学生の佐渡充高さんにとっては大金だったといいます。何気なくサラリと渡されたのだとか。今でいうなら、すばらしい「神対応」!!

ちなみに、その頃(1780年)の1,000$は28万円(1$280円で計算)です。
現在のお金に換算するといくらなのか、いろいろ調べてみましたが確実な情報はなく、およそですが3倍から4倍だろうということでした。
28万円×3倍=84万円 ~ 28万円×4倍=112万円くらいだったと思われます。

今、こんなことが出来るプロゴルファーは誰だろう・・・なんてこと考えてしまいました。とても興味があります。

  • 「ハワイアン・オープン」でトム・ワトソンに再会した佐渡充高さんは、体がふるえるほどの、興奮と衝撃を受けたそうです。
  • 現在は「ソニーオープン」の名称で呼ばれていますが、その頃は「ハワイアン・オープン」でした。

大学卒業後は、東京中日スポーツ新聞社のゴルフ担当記者として、日本男子ゴルフにかかわる仕事をされ、それなりに充実していたそうですが、「ハワイアン・オープン」で味わった、興奮と衝撃に身をふるわせた感激を、どうしても忘れることが出来なかったらしいのです。

そしてついに渡米!を決意!
佐渡充高さんは渡米されました。1985年のことです。28才でした。

佐渡充高さんが渡米された頃のPGAツアーのメディアセンターには、ファックスすらなく、テレビが何台かおいてあっただけだったなんて驚き!!ですね。

メディアセンター内の映像が流れることはほとんどありませんが、現在の米国PGAゴルフツアーのメディアセンターには、映像情報配信システムの設備が整っているのでしょうね。個人家庭に高額複合機などが置いてある時代ですから。

当時の、メディアセンター担当長は、いきなりやって来た日本人記者の佐渡充高さんに対しても、分けへだてなく接して下さったと、おっしゃっています。

佐渡充高29才でのプロゴルファー経験「選手名鑑」連載に貢献したか?

佐渡充高さんは、プロゴルファーとして活動されていたことがあるのです。

何か月間か、ゴルフの特訓を受けてプロゴルファーとなられたのですが、ホーガンツアー(現在のウェブドットコムツアー)をはじめ、カナダツアーのQTスクールに挑戦されていたそうです。

しかしそこは、佐渡さんが震えるほど感激して憧れていたPGAツアーとは、全く違う世界だったと話されています。

佐渡充高さんの奥様がキャディをされていたそうですが、ある試合で同組だった選手が、1打ごとに歓喜したり、1打ごとに絶叫したりを繰り返すため、なかなか先に進むことができなくて、奥様は唖然(呆気にとられて言葉も出ない)とされていたとか。

下部ツアーを転戦する中で、あるときは、ジャック・ニクラスの長男(ジャッキー)と、2度もカナダで出会ったり、ホーガンツアーのQTスクールで、ジョニー・ミラーの息子が、母親と若い女性たちの、熱い声援を受けながら練習ラウンドしているのを見たこともあるそうです。

それぞれのアドレスをクリックして下さい。詳細が見られます。
ジャック・ニクラス https://is.gd/0nXdyx

ジョニー・ミラー   https://jp.pgatour.com/pgatour/news/7878/

佐渡充高さんは、米PGAツアーで2シーズン戦った後、アマチュアに戻られました。米国でツアープロとして生きていくことの難しさを痛感された2年間だったようですが、貴重な経験になったと振り返っておられました。

「選手名鑑」の礎になったかも知れない、佐渡充高さん世界各地のゴルフ場巡り

アマチュアに戻った佐渡充高さんの次なる目標は、居住地のニューヨークから比較的近い、欧州各地にあるゴルフ場巡りをする事でした。

夏はイングランドとスコットランドを中心に、欧州各地のゴルフ場をめぐり、1日に3コースもプレーしたという佐渡充高さん。でも、1日に3コースも回るのなら、1コースでは「イン9ホール」か「アウト9ホール」のどちらかででしょうね。全てのコースで、18ホールをプレーするのは無理でしょう、時間的に。

ゴルフ場巡りに出かける佐渡充高さんの旅支度は驚くほど簡素。クラブと着替え、それに運転しながら食べられる2食分のおにぎりとカップ麺だったそうです。欧州だけでなく、南米や豪州迄も足を延ばされたといいますから、車で走った距離も凄いですね。

佐渡充高さんは、ゴルフ場巡りの日誌をつけておられたらしく、ゴルフ場巡りの総数は何と、1000コースを突破したと記されていました。それにしても、1000コースもプレーしたなんて驚きましたね。これらのゴルフ日誌は、佐渡さんの貴重な財産だと思います。誰も、持っていない宝物ですよ。

ゴルフ記者として、PGAツアーのメディアセンターにも出入りされていましたし、2年間の下部ツアーも経験されて、交友関係も広かったのでしょうね。つてで、米国の秘密クラブ的なゴルフコースもプレーされたというのです。

「選手名鑑」で連載記事を書かれる時、米国PGAゴルフ記者としての経験も、2年間下部ツアーで戦かったことも、ゴルフ日誌も、大切な役目をになったのでしょうね。

  • NHKのPGAツアー中継で、解説者として仕事を始めてからも毎週、現地(ゴルフ開催地)とニューヨークを往復する生活をされていたそうですから、その強靭な気力と体力、そして精神力に圧倒されてしまいます。
  • しかも、PGAツアー中継解説者の仕事で、現地とニューヨークを往復しながら、ゴルフ場巡りも続けていたというのですから、驚いてしまいます。
  • 佐渡充高さんはその頃を振り返って、飛行機やホテルが我が家のような状態だったと話されていました。

佐渡充高さんの友人が、USGA:全米ゴルフ協会に勤務されていたそうです。全米オープン、全米シニアオープンなどを開催しています。。

https://is.gd/sKymgO 左記のアドレスをクリックすると、USGAのウィキペディアに移動します。 その友人が主催されている「ゴルフ夢中度を競う会」のメンバーになった佐渡充高さんは、米国ゴルフマガジン誌にも紹介されたそうです。

佐渡充高さんの心に刻まれた誇れる財産!数々の名ゴルファーとの出会いは宝物!

佐渡充高さんは結婚されて、ニューヨークに住居を構えられたのですが、その頃のニューヨークでは、様々なゴルフイベントが催されていました。そして佐渡充高さんは、数えきれないほど多くの、名ゴルファーたちと会われているのです。

  • 数えきれないほどの出会いがあった中で、今もなお、「一生忘れられない思い出」として、佐渡さんの心に残っているのが、ベン・ホーガンとの対面だったとか。
  • ベン・ホーガン:https://is.gd/4bFHcp 左記アドレスをクリックするとウィキペディアに移動します。

「ジーン・サラゼン、バイロン・ネルソンら往年の名手の方々とも、ご健在の時に直接会い、インタビューさせてもらい、その後の人生における貴重な財産となった。」とおっしゃる佐渡充高さん。

それぞれ有名なゴルファーですが、名前と顔写真を見て知っているだけの方々です。でも佐渡充高さんは、このような素晴らしいゴルファーとの出会いがあって、いろいろな情報を取得されているのです。これは何ものにも代えがたい財産です。一生失うことのない、誰も奪うことが出来ない財産。

「選手名鑑」には、この方々の名前は出ていなかったように思います。

グレッグ・ノーマンらスター選手は、デパートのレッスン会やサイン会に、招かれて頻繁にやってきたといいます。ブルーの文字をクリックすると、ゴルファーの詳細が見られますよ。ゴルファーの多くが、公私で度々ニューヨークを訪れていたのですね

スポンサーリンク

佐渡充高さんは、ジャスティン・レナードと、レストランで偶然に隣席となったことがあると話されていました。

タイガー・ウッズのお父さんのアール氏とも、カフェでコーヒーを飲みながら、雑談する機会にめぐまれたのだそうです。多くの名ゴルファーの素顔に触れるチャンスが、たくさんあったと、佐渡充高さんはおっしゃっています。

「いいなあ!」思わずため息が出てしまいます。ほんとに「いいなあ!」です。

もし、叶うなら、佐渡さんからじかに、いろんなお話をうかがってみたいなあ。叶わぬ夢ですけれど・・・佐渡さんを通して、名だたる名ゴルファーの素顔について、ぜひ、ぜひ、ぜひ、聞いてみたい!

まとめ

数え切れないゴルファーとの出会いがあった佐渡充高さんは、2011年から2017年迄「選手名鑑240」で連載記事を書かれていますが、そこには、名ゴルファーの名前がズラーッと並んでいます。

佐渡充高さんが、ゴルフ解説者という道に進むきっかけになったのは、大学生時代に開催された太平洋クラブマスターズというトーナメントで、外国人招待選手のギル・モーガンや新帝王と言われたトム・ワトソンのキャディをさせていただく機会に恵まれたことだと話されています。

  • ギル・モーガンのキャディを2年間務められ、優勝の感激を味わった佐渡充高さん。上智大学ゴルフ部の1年生、2年生の時でした。
  • 「新帝王」と呼ばれたトム・ワトソンの来日時にも、上智大学ゴルフ部だった佐渡充高さんは英語が話せたので、キャディに起用されています。
  • 佐渡充高さん がトム・ワトソンに再会したのは「ハワイアン・オープン」。 佐渡充高さんは、体がふるえるほどの、興奮と衝撃を受けたそうです。

佐渡充高さんの親族は、米国に居住されている方が多かったので、少年時代から度々米国を訪れていらっしゃいました。少年時代から自然な英語にふれていた佐渡充高さんは、英語が話せたことでトム・ワトソンやギル・モーガンのキャディーを務めるチャンスに恵まれました。

佐渡充高さんは、トム・ワトソンのキャディをされた時、その人柄の素晴らしさに惹きつけられてしまったらしいのです。
ゴルフというスポーツは、こうも人を磨くのかと、佐渡充高さんが感動される程、トム・ワトソンは人柄も魅力的な方だったのですね。

「トム・ワトソンのような素晴らしい方がプレーされている米国PGAゴルフツアー」に、グングン惹きつけられ、魅了されてしまった佐渡充高さん。それが、ゴルフに携わっていきたいという気持ちの原点になったと話しておられます。

スポンサーリンク

おすすめの記事