ミステリーの基礎を築いたコナン・ドイル!不朽の名作シャーロック・ホームズ

あなたは、ミステリー・・・推理小説はお好きでしょうか。
海外には著名な推理作家が多いですね。名前をあげればきりがないほど・・・

アガサ・クリスティー  :エリキュール・ポアロ シリーズとミス・マープル シリーズ。
アーサー・コナンドイル :シャーロック・ホームズ シリーズ。
レイモンド・チャンドラー:フィリップ・マーロウ シリーズ。
エドガーアラン・ポー  :オーギスト・ジュパン。
エラリー・クイーン   :Yの悲劇。
ジェフリー ディーヴァー  :リンカーン・ライムシリーズ。
モーリス・ルブラン   :怪盗ルパン。
E・C・ベントリー   :フィリップ・トレンド。

人はそれぞれ、好きな作家や好きな推理小説があるでしょう。だけど読んでみると、誰の作品であっても「やはりミステリーは面白い!」と思うんですよね。中でも、上記に挙げた作家の作品は本当に面白くて大好き!

その中から今回は、ミステリーの基礎を築いたと言われている「シャーロック・ホームズ」を書き上げた、アーサー・コナン・ドイルはどのような人だったのか・・・調べてみましょう。

♣アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle)。
「コナン」というのは、美術批評家だった大伯父のマイケル・コナンから貰った姓。

アーサー・コナン・ドイル。
生年月日:1859年5月22日。
出身地 :スコットランド・エディンバラ。
1868年 :イエズス会系の寄宿学校ホダー学院に入学。
1870年 :ストーニーハースト・カレッジ入学。5年間学ぶ。
1875年 :オーストリアのイエズス会系に1年留学。
1876年 :エジンバラ大学医学部に進学。
1881年 :医師免許を取得してエジンバラ大学医学部卒業。
父   :チャールズ・ドイル。
母   :メアリ。

コナン・ドイルは、仕事に成功して裕福だった伯父の支援を受けて、大学医学部まで卒業していますが、この大学生活の中で出会ったジョセフ・ベル教授から、多大な影響を受けたそうです。

ジョセフ・ベル教授は、ちょっとした特徴から、患者の状況や経歴までも言い当ててしまう人物だったらしく、シャーロック・ホームズのモデルは、ジョセフ・ベル教授だと言われています。

コナン・ドイルがオーストリア留学から帰国した頃、母は医師を間借り人として置いていました。少しでも生活費を楽にするためでしたが、医師を目指すようになったきっかけが間借り人でした。

父方のドイル家は、フランスからアイルランドに移民したノルマン人の家系で、敬虔なカトリック一族だったので、迫害を受けることが多かったそうです。

アーサーの祖父ジョン・ドイルが、ダブリンからロンドンに出てきて、"H.B."の筆名で著名な風刺画家になって注目されるようになりました。

祖父ジョン・ドイル(風刺画家)の子供は5人。
長男:ジェームスは画家。
次男:リチャードはイラストレーター。
三男:ヘンリーはアイルランド国立美術館の館長。
四男:不明(亡くなっているのか、情報がありません)。
五男:チャールズ(コナン・ドイルの父)。

上の3人はそれぞれ成功していますが、測量技師だったコナン・ドイルの父は、技師補以上の地位には上がれず、しかも、アルコール中毒者になって精神病院に送られています。そのため、コナン・ドイルは幼少期も青年期も生活は苦しかったようです。

1881年に医師の学位を取得して、エジンバラ大学医学部卒業したコナン・ドイルは、診療所を開業ましたが成功には程遠い状態でした。あまりにも暇なので、患者がくるのを待つ間に、副業として小説を書き始めたコナン・ドイルは、雑誌社に投稿するようになっていました。

1884年にコナン・ドイルは、長編推理小説「シャーロック・ホームズ」シリーズ第一作目「緋色の研究」を発表しました。診療所を開いてから3年目のことですが、その時はまだ評判にはなっていません。

1889年には歴史小説『マイカ・クラーク』出版。
1890年にはシャーロック・ホームズのシリーズ第2作『四つの署名』。
1891年には歴史小説『ホワイト・カンパニー』出版。
次々と小説が出版されるなどして、コナン・ドイルは小説家として成功していく。

1891年、開業していた診療所を閉めて、眼科医(無資格だった)を始めましたが患者が全くこないので、コナン・ドイルは小説家一本に絞ってやっていくことを決意。

アーサー・コナン・ドイルは、推理小説、歴史小説、SF小説も書いていますが、中でも「シャーロック・ホームズ」は世界の名作と言われ、映画やテレビで、何人もの俳優が「シャーロック・ホームズ」を演じています。

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コナン・ドイルが小説家として成功するまでに辿ったのは・・・

コナン・ドイルは、1881年8月に医学士と外科修士の学位を取得しましたが、成績は並でした。

1881年10月、アフリカ汽船会社に船医として就職したコナン・ドイルは、アフリカ行きのマユンバ号に乗船。ところが、客が次々とマラリアに罹患して、治療に悪戦苦闘した挙げ句、コナン・ドイル自身もマラリアを罹患してしまい、一時は生死の境をさまよったそうです。

1882年1月にマユンバ号はリヴァプールへ戻りましたが、コナン・ドイルはこれ以上アフリカ行きの船に、船医として勤務する気にはなれなくなっていたので退職しました。

コナン・ドイルは、ロンドンの伯父たちに支援を受けようとしたのですが、敬虔なカトリックだった伯父たちが、信仰心を失ってしまったコナン・ドイルを、助けてくれる筈がありません

1882年5月、エジンバラ大学時代の同級生ジョージ・バッドの診察所の共同経営者となりました。ジョージ・バッドの診察は型破りで評判になり客が多かったのですが、ドイルが診察を分担するようになってから客が減ってしまった。そのため2か月もたたないうちに二人の共同経営は破局。

ドイルはバッドと袂を分かち、1882年6月末にポーツマス郊外サウスシーで診察所を個人開業。医師免許を獲得した時の成績は「並」でしたから、医者としての腕はあまり良くなかったのかもしれませんね。医師が多い地域でしたから成功は望めない状況でした。

あまりにも暇なので、患者がくるのを待つ間に、副業として小説を書き始めたコナン・ドイルは、雑誌社に投稿するようになっていました。

1882年、「我が友、殺人者」と「北極星号の船長」を買い取ってもらう。
1883年に「J・ハバクック・ジェフソンの遺書」をコーンヒル・マガジン誌が買い取ってくれた。メアリー・セレスト号事件に刺激を受けて書いたらしいが、これがドイルが執筆を初めて、最初の成功だった。

短編小説で小金を稼げたようですが、作者名が掲載されないと言う難点がありました。このまま書き続けても駄目だと思うようになり、長編小説を書くようになったのです。

そして1886年4月頃に、シャーロック・ホームズのシリーズ第一作「緋色の研究」を執筆。出版社が中々見つからず、10月の末に、短編並みの安値で買い取られた。1年後の1887年11月に「ビートンのクリスマス年鑑」に掲載され、更にその翌年単行本化されたが、反響は「まあまあ」程度だったと言う。

それまでにも、雑誌社からの依頼でドイツ語を英語に翻訳していますが、コナン・ドイル自身は、「緋色の研究」ではなく、この翻訳が突破口となった・・・と話しているのです。

そしてコナン・ドイル自身が考える最初の出世作は、歴史小説「マイカ・クラーク」。評判が良かったので、1年間に3回重版を重ねていました。

同じ年、J.B.リピンコット社から依頼を受け、シャーロック・ホームズのシリーズ第二作「4つの署名」を書き、1890年に出版されたが、これも評判が良かった。

この2冊・・・とても評判が良かったため、高い価格で買い取ってもらうことが出来たそうです。単行本3巻は非常に売れ行きがよく、コナン・ドイルの名声を高めたのです。そしてこの本は、学校の歴史教材にも使われていると言う。

人気の高いシャーロック・ホームズを死なせたコナン・ドイル!

コナン・ドイルが、進むべき道を小説家一本に絞ったその年・・・1891年から「ストランド・マガジン」に、シャーロック・ホームズの読み切り短編の連載を始めると、評判もよく人気を得ました。

しかしコナン・ドイルは、シャーロック・ホームズシリーズの人気がどんどん高くなるにつれて、シャーロック・ホームズを書くことに嫌悪感を感じるようになってしまいました。歴史小説を主体に考えていていたためだと言われていますが、何と言うもったいないことを・・・と思いますよね。

だけど、シャーロック・ホームズの執筆に嫌気が指していたコナン・ドイルは、とうとう、シリーズ「最後の事件」で、シャーロック・ホームズを死なせてしまうのです。一体、どのような形でホームズを死なせたのか。

シャーロック・ホームズが死に至るシーン、それは・・・

ワトソンが結婚してからは、シャーロック・ホームズと組んで仕事をすることは激減していた。そんなある日、突然ワトソンの診察室を訪れたシャーロック・ホームズから、モリアーティー教授の話を聞かされた。

ここからは、シャーロック・ホームズが語るモリアーティー教授に関わる重大な内容。

モリアーティー教授は、家柄もよく一流の教育を受け、生まれながらにして素晴らしい数学の才能に恵まれていた。彼の前には輝かしい未来が開けていたのだが、遺伝とも言える最も悪魔的な素質があり、彼には犯罪者の血が流れていると言う。

モリアーティー教授が持つ犯罪者としての素質・・・
彼の尋常ではない精神力で、どんどん強化された素質は、今や極まりなく危険なものになってきたことを、シャーロック・ホームズは感じていた。

ロンドンで起こった未解決の重大犯罪事件の影・・・犯罪者をかばい、法律を妨げ、偽造、強盗、殺人を繰り返す様々な犯罪を、大きな力が働き覆い隠しているヴェールがあった。

シャーロック・ホームズは、犯罪を覆い隠しているヴェールを破ろうと、巧妙に行動していたところ、天才数学者モリアーティー教授に辿り着いたのだと。

「この大都会で悪事の半分にあたる・・・未解決事件の仕掛け人がモリアーティー教授だ。彼は天才で賢人、理論的思想家で、頭脳は第一線級だ。蜘蛛の巣の真ん中に座っていて、彼自身は計画を練るだけで動かない。彼の手下は数多くいるが組織化されている。手下は捕まっても彼自身は疑われることさえない」

「自分と対等の頭脳を持った敵に、ついに出会ったことを認めざるを得ない。彼の悪事に対する僕の憎しみは強いが、彼の腕を称賛する気持ちに変化した。しかし彼は、僕がピッタリとついている時に小さなヘマをした。そこから僕は、彼の周りに網を張り巡らし、網を引けばいいだけになっていた」

しかし、それに気づいたモリアーティー教授が、何と、シャーロック・ホームズの部屋を訪れて忠告したのだ。「あなたは手を引かねばならない。あなたの事件への取り組み方を眺めることは、知的な楽しみだった。だから心から言うが、極端な手を取らねばならない。わたしには悲しいことなのだ」

シャーロック・ホームズが手を引かないと分かると、即座に、モリアーティー教授の手下から命を狙われたシャーロック・ホームズ。動くたびにあちこちから狙われ、何処から銃弾が飛んでくるかわからない状態に陥っていると言う。

ワトソンは、妻は出かけているし診療は暇だったので、シャーロック・ホームズの願いを聞き入れてスイスに向かった。敵に命を狙われ続けているシャーロック・ホームズとは途中で落ち合い、マイリンゲンの小さな村に到着した。

宿の主人に、山の中腹にある「ライヘンバッハ」の滝は是非見たほうがいいと勧められ、翌朝出立してから、少し寄り道して行ってみると「ライヘンバッハ」の滝は、とんでもなく恐ろしい場所だった。

シャーロック・ホームズとワトソンは、断崖の上の端に立って深い滝壺を覗き込み、鳴り響く水音を聞いた。滝全体が見渡せる所に移動しようとした時、宿の若者が追いかけてきてワトソンに手紙を渡す。今朝、シャーロック・ホームズたちとすれ違うように宿に到着したご婦人が喀血したので、ワトソンに見て欲しいというものだった。

手紙を届けに来た宿の若者をシャーロック・ホームズの元に残し、宿に向かって引き返し始めたワトソンが振り向くと、シャーロック・ホームズは岩にもたれて腕を組み、激しい流れを見下ろしていた。それがこの世で見たシャーロック・ホームズの最後の姿になってしまった・・・

コナン・ドイルはこのような形で、シャーロック・ホームズを死なせてしまいました。ただ、死体を見たものは誰もいないので、後に、実は生きていたと言っても違和感はないでしょう。

シャーロック・ホームズの帰還!ワトソン気絶!

シャーロック・ホームズを「最後の事件」で死なせてしまったコナン・ドイルは、ナポレオン時代を舞台にした
ジェラール准将シリーズの連載を開始・・・希望通り歴史ものを書いたのですね。

「最後の事件」から8年後・・・1901年に、シャーロック・ホームズシリーズ長編小説「バスカヴィル家の犬」を発表しましたが、シャーロック・ホームズの復活ではなく「最後の事件」以前の設定になっていました。

2年後の1903年に、シャーロック・ホームズシリーズ短編の連載が始まり、「シャーロック・ホームズの帰還」で、生きていたと言う設定になっていたのです。

「シャーロック・ホームズの帰還」で、ワトソンの前にいきなり、シャーロック・ホームズが戻ってきたのですが・・・どんな現れ方をしたのか興味ありますか。

外出していたワトソンが、ケンジントンの書斎に戻ってから何分も経っていませんでした。メイドが来客だと告げて、部屋に入ってきたのは、たった今、帰宅途中に出会った風変わりな収集家の老人だったのです。12冊もの収集本を抱え込んだ収集家の老人は、近所に住んでいて、ちっぽっけな書店をやっていると話した。

収集家の老人は「あなたも本をお求めのようですな。今ここに掘り出し物を持っています。あと五冊もあれば本棚の二段目が埋まりますな。あれじゃ、様にならんでしょ」と言う。

ワトソンが後ろにある本棚を見てから向き直ると、何と、そこには死んだと思っていたシャーロック・ホームズが、ワトソンに笑いかけていたのだ!びっくり仰天したワトソンは暫くじっと見ていたが、気を失ってしまった・・・

唇にブランデーの苦味を感じたワトソン・・・椅子の上にかがみ込んだシャーロック・ホームズは酒瓶を手にしていた。「ワトソン」聞き慣れた声がして「全く申し訳ないことをした。君がこんなに驚くとは思わなかったのだ」

シャーロック・ホームズの腕を掴んだワトソンは叫んだ。「ホームズ!本当にきみなのかい。あの恐ろしい滝壺から這い上がって来れたなんて!」

「ちょっと待ってくれたまえ!そんな話を始めても本当に大丈夫なのかな。必要以上に芝居がかった現れ方をして、君に大変なショックを与えてしまったようだからね」

「ホームズ、自分の目が信じられないんだ。死んだはずの君が僕の書斎に立っているなんて」ホームズの腕を掴んだワトソンは、痩せて筋張った腕の感触を確かめると「君に会えて本当にうれしいよ!。あの恐ろしい深淵からどうやって生還したのか話してくれ給え!」

まとめ

コナン・ドイルは、推理小説の基礎を築いたといわれていますが、歴史ものに重きを置いていたため、一時的にシャーロック・ホームズを死なせてしまったこともありました。

推理小説の他にも、SF分野ではチャレンジャー教授が活躍する「失われた世界」や「毒ガス帯」。歴史作品ではジェラール准将なども執筆しています。

1914年の第一次世界大戦では、政府や軍部の戦争遂行を支援し、戦意高揚のための執筆活動をしたり、前線を回って士気を鼓舞する演説も行っていました。

以前から心霊主義に関心を持っていたコナン・ドイルは、身内が相次ぎ病死したり戦士した事によって、より一層心霊主義にに傾いていき、晩年の生活の殆どは心霊主義に捧げたらしい。

一方で、コナン・ドイルは誰とでもすぐ仲良くなれる性格で、大変なスポーツマンでした。、クリケットを始め様々なスポーツに打ち込んでいたと言われ、ボウリングでも優勝しています。結婚は二度。先妻との間には1男1女。後妻との間にも2男1女を設けています。

そして、1930年7月7日になくなりました。

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