2007年5月、政治家を引退された扇千景さんをご存じの方は、沢山いらっしゃると思いますが、引退されてから11年にもなりますから、10代の方は「えっ、誰?」っておっしゃるかも知れませんね。

2017年3月、夫の四代目坂田藤十郎(歌舞伎俳優)さんと一緒に、「徹子の部屋」に出演されています。その時、乳管がんの切除手術を受けたことを話されていました。手術をされたのは2016年の11月だったそうですが、部分切除の手術後は、25日間も放射線治療を受けられたと言います。

入管がん:調べましたが乳管がんの文字が出て来たのが「非浸潤性乳管がんを考える」でした。アドレスをクリックして下さると、乳管がんの詳細がわかるので確認して下さいね。⇒ http://bcnetwork.org/pg299.html

手術の前後1週間、扇千景さんが入院されている間は、病院に寝泊まりをして歌舞伎座に通ってくれたと、坂田藤十郎さんに感謝されていました。

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大阪公演があった時、放射線治療を25回受けたそうですが、その内19回も、坂田藤十郎さんは何も言わず地下鉄に乗り、病院についてきてくれた優しい人だと話された扇千景さん。

「嬉しかったね。こうやって元気になってくれると。生きてて良かったな」と、坂田藤十郎さんが涙ぐまれる場面もありました。

扇千景さんと四代目坂田藤十郎さんは、結婚されてから60年もたつそうです。
「マッチもつけることが出来ないし、ガスも消せない人。とにかく歌舞伎以外のことは何もできない人です」と扇千景さんはおっしゃってましたね。

宝塚歌劇団を辞めてから、扇千景さんは中村扇雀(妹は中村玉緒)さんと結婚され梨園の妻となられました。そこから女優に復帰して更に政治家に転身されると、大臣や長官、参議院議長などの重責を担ってこられました。扇千景さんが歩いてこられた華麗なる道を辿ってみたいと思います。

扇千景さんは宝塚歌劇団の映画専科で八千草薫さんと同期!父親に反発して入団!

扇千景さんは宝塚出身のスターでした。
宝塚歌劇入団時の成績は51人中4番だったそうですから、優秀だったのですね。在団時の愛称は本明の寛子からカン子と呼ばれていたとか。

高校卒業後は大学に行きたかったらしいのですが、銀行員だったお父様の大反対にあってあきらめたそうです。そんな時友人が勝手に願書を送った宝塚歌劇団に合格したこともあり、入団されたそうですが、その背景には父親に対する反発があったからだと聞きました。

初舞台は1954年「春の踊り」。
その後は宝塚歌劇団の意向で、初舞台を踏んだ年に新設された、「映画専科」に編入されたと言います。その時一緒に編入されたのが八千草薫さんだったそうです。八千草薫さんは現在も女優として活躍中なので、ご存知の方も多いでしょうね。

1654年10月に、宝塚映画「怪傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻」で映画デビュー。その後もテレビドラマや映画などに多数出演されています。1956年には「夜霧の女」で、春日野八千代さんの相手役で盲目の少女を演じ、新人演劇賞を受賞されています。

上記画像元のアドレス → https://is.gd/BlVIJ2

宝塚映画なんてあったのですね、扇千景さんの宝塚時代について調べてみて初めて知りました。でも、宝塚を目指す方は、宝塚の歴史などを調べたりされるから、若い方も宝塚映画があったことはご存知かも知れません。

https://is.gd/KsZwL4 ← 春日野八千代のウィキペディア:宝塚歌劇団トップスター:白薔薇のプリンスと呼ばれていた。

扇千景さん驚きの新婚時代は夫の扇雀さんが戻るのは初日と千秋楽だけ!度量が広い大物の扇千景さん!

扇千景さんは新婚の頃、夫中村扇雀(四代目坂田藤十郎)の義母から言われたことがありました。

京都で、歌舞伎の顔見世興行というのがあるらしいのですが、扇千景さんはお義母さまに言われたそうです。「かんこ(扇千景の本名)ちゃん、ボン(中村扇雀)ちゃんが戻ってくるのは、初日と千秋楽だけどすえ。後は外泊どすえ」と。

現在は人間国宝でもある坂田藤十郎さんですが、扇千景さんと結婚された中村扇雀時代、京都に相思相愛の芸妓がいたと噂されていました。お義母さまの話はそれを裏付けるものだったのでしょうか。

普通の家庭ならすぐに破綻してしまうと思うのですが、昔の歌舞伎界はそんな方が多かったのでしょうね。今の歌舞伎界では考えられないと思いますけれど。

扇千景さんのお話では「その頃はそれが当たり前の世界だったから、いちいちやきもちなんて焼いていたら、こちらの身が持ちません。この人のお父さんは二人も外に子供がいたから遺産相続で大もめでした」と。

義父の遺産相続で揉めるのを見た扇千景さんは、その時、夫の中村扇雀さんに言ったそうです。「あなたも誰かいるなら今のうちに言って下さい、ついでに対処しますから」って。
扇千景さんて凄い!度量が広い大物!一般家庭なら多分離婚に発展すると思いますよね。そんなの耐えられないでしょう。

扇雀さんは外に子供はいなかったようですが、それにしても昔の歌舞伎役者さんは凄かったし、梨園の妻は強かったということでしょうか。現在ならメディアが大騒ぎしてネットが大賑わいしちゃいますよ。

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中村芝翫の襲名直前に不倫が話題になった歌舞伎俳優の中村橋之助さん。
妻の三田寛子さんから、「芸には女性が肥やしであるというのは、うちでは、決して認識していないし、甘い覚悟を持ってはいけない」ときついお叱りを受けたという。

その後、相手の女性がどうなっているのかは、調べてみないとわかりませんが、中村芝翫を襲名された橋之助さんは別れざるを得なかったのではないでしょうか。三田寛子さんも、相手の方が顔見知りだったというのは、知らない方との不倫よりも心が傷つくと思いますが、表面上は変化なし。やはり梨園の妻は強い。
歌舞伎俳優 中村芝翫さんのウィキペディア ⇒ https://is.gd/fCTgDv

扇千景さんは「今の梨園の妻って大変みたい。かわいそうだなあ。夫がちょっと浮気すると、直ぐ書き立てられてしまうんだから。時代がちがうのでしょうね」現在の梨園妻に同情されていました。

新婚時代に義母からポン(中村扇雀)ちゃんが戻ってくるのは、初日と千秋楽だけで、後は外泊だと聞かされた扇千景さんにとって、中村橋之助さんの件なんて日常茶飯事だったのかもしれませんね。

https://is.gd/xpPvIz 左記のアドレスをクリックすると、歌舞伎の歴史がわかる内容が掲載された記事に移動します。
https://is.gd/Pqrg6k ⇒ 中村扇雀 ⇒ 2005年11月30日から四代目坂田藤十郎襲名。

扇千景さんは悩んだ末に女優を辞めて結婚!「奥さんを貸して」の一言で女優に復帰?!

結婚する場合は、女優はやめて欲しいと中村扇雀さんに言われた扇千景さん。
でも、扇千景さんは女優になったばかりでやめたくなかったそうです。決断できずズルズル付き合っているうちに妊娠したことがわかって、作家の川口松太郎氏に相談されたといいます。

子供を産んでシングルマザーになり、女優を続けたいと思っていた扇千景さんですが、川口松太郎氏から「子供にとって父親がどんなに大切なものかわかるか?」と言われたのです。さらに、「両方の親は説得するから任せておきなさい」と。

川口松太郎氏は砕けた方だったのですね、扇千景さんと中村扇雀さんにこんな提案をされていました。「結婚式なんてしなくていいから、そのお金で世界一周してきなさい。きっとそれが、これからの二人の役に立つから」とおっしゃったらしいのです。

そして「歌舞伎役者が結婚のお披露目をしないなんてあり得ない!」と中村扇雀の両親から言われた時も、「まかせとけ!」と川口松太郎氏が引き受け、帝国ホテルでの挙式となったようです。

扇千景さんが宝塚を引退されて、2年以上過ぎたころのこと。

映画監督の松山善三氏が、ご自身で脚本を手掛けられたドラマがありました。
ドラマの母親役に、高峰秀子(松山善三氏の奥様)さんを予定していたところ、「出産経験がないわたしにはできない」と高峰秀子さんが承諾されませんでした。

そのドラマのプロデューサーは、高峰秀子さんに断られて困ったのでしょうね。中村扇雀さんと親しく付き合う間柄だったので「奥さんを貸してくれ」と中村扇雀さんに頼み込んできたというのです。

中村扇雀さんが決断されて「ドラマに出ろ」と言われた扇千景さんは、「辞めろというから辞めたのに、今度は出ろだなんて・・・」と言いつつ出演されました。
扇千景さんは、これ1回きりのつもりでいたところ、出演ドラマが芸術祭参加作品で受賞してしまったとかで、次々仕事が舞い込み、女優完全復帰ということになりました。

扇千景さん2度目の「奥さん貸して」で政治家デビュー!数々の大臣を務めた!

逸見政孝さんとワイドショーの司会もやるようになった扇千景さんは、このころから政治の世界に興味を持つようになったと話されています。子供を産んだことで、戦争のない未来を造らなきゃなどと考えるようになったとか。
逸見政孝さんのウィキペディア ← https://is.gd/w6pTDP

そんなある日のこと、扇千景さんと中村扇雀さんが外食をされていたところへ友人がやってきて「ちょっとあんたの奥さんを貸して欲しい」と言ったそうなのです。扇雀さんはてっきり、麻雀か何かのメンバーが足りないのかなと思い、「どうぞどうぞ」と即応答。

よく聞いてみると、当時の総理大臣だった福田赳夫氏が、奥さんの扇千景さんに参院選出馬を要請しているという話だったのです。この話に扇雀さんのご両親は大反対!「歌舞伎俳優の妻が女優をしているだけでも異例なのに、政治だなんて・・・」と。

「無理だとお断りしたのですが、ご両親はこちらで説得しますからどうしてもとおっしゃられ、料亭で一席設けて下さいました」とは扇千景さんの言葉。料亭には福田赳夫総理、大平正芳自民幹事長、安倍慎太郎先生、竹下登先生が列席されていました。

人間国宝だった中村鴈治郎に対して威儀を正したということだったのでしょうか。大平正芳幹事長が座布団をサッと外して、「次の参院選にお宅のお嫁さんを貸して頂きたい!」と頭を下げられたと言います。

扇雀さんのご両親は暫く黙っておられたそうですが、「こんなんでよろしかったらどうぞ」と承諾されました。その言葉に、難航すると覚悟をしていたのでしょうね、そこに居並ぶ政治家の方々は、拍子抜けしたような顔だったそうです。
中村扇雀さんと扇千景さんも、「あんなに大反対してたのに!」と思われたそうですから。

参議院議員になられた扇千景さんは、政治の世界でも大活躍をされました。

1977年7月 :参議院議員に初当選。
1986年 :自由民主党婦人局長に就任。

2000年4月: 保守党初代党首、参議院議員会長に就任
2000年12月: 運輸大臣、建設大臣、北海道開発庁長官、国土庁長官を歴任。
2001年1月 :初代国土交通大臣に就任
2004年7月 :参議院議長に就任(女性初)

2007年に政界を引退されました。
そして2010年には桐花大綬章受章(女性初)されています。

まとめ

扇千景さんは宝塚出身のスターでした。
宝塚歌劇入団時の成績は51人中4番だったそうですから、優秀だったのですね。

初舞台は1954年「春の踊り」。
その後は宝塚歌劇団の意向で、初舞台を踏んだ年に、新設された「映画専科」に編入されたと言います。その時一緒に編入されたのが八千草薫さんだったそうです。

新婚間もない頃、「かんこ(扇千景の本名)ちゃん、ボン(中村扇雀)ちゃんが戻ってくるのは、初日と千秋楽だけどすえ。後は外泊どすえ」と、義母から言われました。一般家庭では考えられないことなので驚きますね。

外に2人の子供がいた為に、義父の遺産相続で揉めるのを見た扇千景さんは、その時、夫の中村扇雀さんに言ったそうです。「あなたも誰かいるなら今のうちに言って下さい、ついでに対処しますから」って。扇千景さんて凄いですね。真似できません。

夫の中村扇雀さんは友人だったプロデューサーに、「奥さん貸して!」と頼み込まれ、扇千景さんは「ドラマに出ろ」と言われました。「女優辞めろと言ったのに、出ろだって」と言いつつ、1作限りのつもりで出たドラマが賞を取り、次々仕事が入り女優完全復帰。ワイドショーの司会も務めました。

そしてまたもや扇雀さんは「奥さん貸して!」と頼まれました。
時の総理大臣福田赳夫さんをはじめ、大平正芳自民幹事長、安倍慎太郎先生、竹下登先生が列席して頭を下げられたご両親は、大反対していたのに「こんなんでよろしかったら」と承諾。拍子抜けするほど簡単に、扇千景さんの政界入りが決まったのです。

扇千景さんは、下記のように、数々の大臣を務め2007年政界を引退されました。

自由民主党婦人局長・ 保守党初代党首に就任。
参議院議員会長に就任。
運輸大臣、建設大臣、北海道開発庁長官、国土庁長官を歴任。
初代国土交通大臣に就任。
参議院議長に就任(女性初)

そして2010年には、桐花大綬章受章(女性初)されています。

2017年3月に坂田藤十郎さんと扇千景さんが、お二人揃って「徹子の部屋」に出演された時に、扇千景さんが話されていました。
2016年の11月に、扇千景さんは入管がんの部分切除の手術をされ、その後25日間も放射線治療を受けられたと言います。そのうち19回も、坂田藤十郎さんは何も言わず地下鉄に乗り、病院についてきてくれた優しい人だと扇千景さんは感謝されていました。

「嬉しかったね。こうやって元気になってくれると。生きてて良かったな」と、坂田藤十郎さんが涙ぐまれる場面もありましたね。

扇千景さんは、国会議員の頃から万歩計をつけて、毎日1時間20分歩いていらっしゃったのですが、政界を引退されてからは、ご主人と一緒に歩かれているそうです。公演で地方に行かれる時も、旅行された時も必ずお二人で歩かれるそうです。

扇千景さんは、「老後の人生を豊かに元気に過ごすためには、外に出かけて、元気に体を動かすことが大切だと思いますよ」と話されています。お二人はいつもご一緒に、とても充実した毎日を過ごされているようで素敵ですね。

誰もがお二人のように、穏やかな老後を迎えることが出来ればいいなあ・・・なんて思っています。

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